気の逸るままに扉を叩く。思ったより大きな音が出るけれど、気にしている余裕はなかった。

「御免下さい…!」

動悸が激しい。深司の親友を名乗る人物からそれを聞いた時は信じられなかった。
彼はてっきり、高等学校を卒業した後は家督を継ぐのだと。そう信じきっていた。
なのに——どうして。
がらりと扉が開いて、顔を出したのは彼の家の使用人だった。

「はい、何方で…さん、如何しました?」
「深司、さんは居ますか?」

彼の名を告げれば途端に納得顔になる彼女。幼馴染という立場は便利だ。突然家に押し掛けても、違和を感じさせることが少ないから。
そのまま客間に通され、座布団を勧められる。

「少々お待ち下さいませ。今呼んで参りますので」

すっと障子が閉められ、私は一人になった。
手持ち無沙汰に辺りを見回す。幼い頃から深司の家には良く遊びに来ていたので、別段見新しいものはない、けれど。
床の間で視線を止める。そこにあったのはひとつの立派な生け花。大きく枝を張った一重咲きの椿は、幾つか紅の花を付けていて。
華道を得意としていた深司の生けたものだろうか。それとも師である彼の母の作品か。どちらにせよ、大層素晴らしいものに変わりはない。
暫くその生け花を眺めていれば、音もなく障子が開き。

。如何かした?」
「深司…っ」

そこに立っていたのは、藤紫の着流しに身を包んだ深司。肩で切り揃えられた艶のある濃藍の髪に冷たく見据えられた琥珀色の瞳。長髪なのに女性的ではないのははっきりした目鼻立ちのせいか、それとも締まった体躯のせいか。どちらにせよ、整っている事に変わりはないが。
私の正面に膝を立てて座った彼。表情は読めない。
ああ、それにしても。如何かした、だなんて。それはこちらの台詞だ。

「軍に、軍隊に入るってどういう…っ!?」
「しっ…声大きい」

唇に人差し指を押し当てられ、慌てて口を噤んだ。
しん、と広がる静寂にどちらともなく息を吐く。

「それで、誰がそんな事」
「神尾さん、よ。貴方の御学友だと聞いたわ」

茶髪で片目を隠した、書生風の容貌をした彼。二人で歩いていたのを何度か見かけたことがあった。まさか神尾さんが私の事を知っているとは思わなかったけれど。

「彼奴か…全く何時も何時も余計な事ばっかしてさあ…此方の気も知らないで…」

苛立ち紛れに舌打ちし、ぶつぶつとぼやき始める彼。それを遮って疑問を口にする。

「如何言うこと? 軍なんて、この国には無いじゃない」

私達が住んでいるのは小国である不動峰。国軍などはなく、自警団がその役目を担っている。

「橘さんに、誘われたんだ。一緒に軍を作らないかって」
「橘さん…?」

聞いたことのない名を呟かれ反芻する。そう、と肯定する深司は目を輝かせる。その人の事を話すのが楽しくて堪らない、といった風に。

「自警団副団長だよ。元、だけど。ついこの間知り合って…」
「そんな人が、如何して」

呟けば身を乗り出す深司。その熱量に、背中に冷たいものが走った。
貴方が仲間思いなのは知っている。だからといって、最近できた知人にそこまで入れ込むなんて。"他人"を殊更厭う彼の事だから、余計に不思議で不安になる。
橘という人物は、一体どんな人なのだろう。

「勿論、この国の為に」

まるで己が大義を背負ったかのように、のぼせた声音で深司は語る。
違和感が拭い去れない。

「不動峰は大国に囲まれてる。何時他の国から狙われたって可笑しくない状況に在るんだ。だから、軍隊を作らなきゃいけない」
「それは…そうかも知れない、けど」

正直、私に政治はわからない。高等学校でも女が勉強する物では無いと遠ざけられてきた。
だから、揺らいでしまう。否定は出来ないが肯定もしたくなくて、有耶無耶にして呑み込んだ。

「俺が。俺達が、やらなきゃいけないんだ」

瞳に灯るのは、力強い焔。
ねえ、深司。
何が貴方の中で燃えているの。

「…なら、解ってくれるよね」

不意に弱々しく、まるで母に許しを乞う子の様な目をしてこちらを見詰める深司。
溜息を吐いて肩の力を抜く。
ああ。そんな言い方をされてしまったら。そんな目をされてしまったら。私はもう貴方に牙を剥けない。
ゆっくりと肯けば、深司は先程までの硬い表情から一転し口許を綻ばせる。
納得していないのに理解したふりをした事が居た堪れなくて、視線を外して生花を眺めれば。
椿が——その赤い花が、ぼたりと地に落ちて。
ぞくり。背筋が粟立ち、嫌な予感が身体を包んだ。



Written by ルイ
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