硝子細工のような脆弱さなど


 それは僕が部屋で宿題をしている時でした。こんこん、と部屋の窓が叩かれて、僕は閉め切っていたカーテンを開けたです。西日が差し込む痛いくらいのオレンジの中で見えたのは、バルコニーに立ったなまえちゃんでした。隣の家に住む幼馴染のなまえちゃんの部屋はちょうど僕の部屋と迎え合わせになっていて、小さい頃から僕達はこうしてお互いの部屋を行き来していたです。

「こんばんは、太一くん。ちょっと良いかな?」
「もちろんです、なまえちゃん! どうぞです」

 僕は窓から少しだけ身体をずらして、なまえちゃんを迎え入れたです。僕の目線ぐらいの所でなまえちゃんの跳ね上がった毛が数本、ふわふわと揺れます。なまえちゃんは二つ年上で山吹中では先輩だけど、僕よりもおでこ一つ分背が低くて、一緒にいると小学生に間違えられてしまうくらいです。

「今日はどうしたですか? 家の夕飯はあさりのクリームシチューじゃないですよ」
「それは残念……私の家も卵たっぷりのオムライスじゃないから、太一くんは呼ぶ必要ないわねってお母さんが……って違うの!」

 なまえちゃんはよく僕の部屋に来て他愛のないお喋りをしていましたけれど、それは大体、僕の家の夕飯がなまえちゃんの好物の時です。なまえちゃんも僕と一緒で、あさり入りのクリームシチューが大好きなのです。逆に僕もなまえちゃんの家のオムライスが大好きだから、そんな時はよくお呼ばれしています。けれど今日はそれが理由では無いみたいです。

 太一くん、ここに座って。となまえちゃんが自分の目の前の空間をぽんぽんと叩きます。僕は言う通りにしたです。なまえちゃんがかしこまって正座をしているので、僕もなんとなく正座です。

「今日は、太一くんに話さなきゃいけない事があります」
「はい、なんですか?」

 僕は首を傾げ、なまえちゃんの次の言葉を待つです。なまえちゃんは少しだけ頬を赤らめて、「えーっと、」と言いながら視線を泳がせたです。それから僕を一瞬見て、自分の膝辺り目線を戻して、一言、

「おつきあいする人が、できましたっ!」
「え……えぇー〜〜〜〜!!」

  僕はただただ驚いて、勢いで「誰なのです!?」と続けたです。なまえちゃんには今まで恋人さんはいませんでしたし、誰を好きかと言う話もした事がありませんし、そもそもそんな話題に興味がある事すら意外でした。

「えっとね、太一くんも知ってる人なの。……亜久津くん、だよ」
「あ、亜久津先輩ですか!?」

 相手を聞いて更に驚いたです! なまえちゃんは同じ学年にも関わらず、つい最近まで亜久津先輩の事を知らなかったくらいなのです。僕がテニス部に入部した事を通じて、二人は知り合ったです。
 膝の上でくるくると両手の指を遊ばせながら、なまえちゃんは僕に事の顛末を話してくれたです。都大会で偶然会って少しだけ話をした事。それから学校でも少しずつ交流するようになった事。

「最初に太一くんに紹介してもらった時は怖かったけれど、すぐにワイルドで優しい人だなって分かって、気が付いたら好きになっちゃってた」

 はにかむ様に言うなまえちゃんはこの間転んだ時よりも恥ずかしそうで、それなのにオムライスを食べている時よりも嬉しそうな顔だったです。僕はまだびっくりしていましたけど、心の奥の方でむず痒いような、形容し難い感情が芽生え始めていました。きっと誇らしく感じているのだと思うです。だって僕の大切な幼馴染と、僕の大好きな先輩が好き同士だなんて嬉しいのです。

「すごいです! なまえちゃん、おめでとうございますです!」
「ありがとう、太一くん」
「どういたしましてなのです。それにしてもなまえちゃん、水臭いですよ! 僕、二人がそんな事になっていたなんて、全然知らなかったです」
「だって〜……」

「なまえーご飯よー!」

 僕がわざとらしくなまえちゃんを非難して、なまえちゃんが困った様に何か言いかけた時でした。隣の一階からなまえちゃんのお母さんの呼ぶ声がしたです。なまえちゃんのお母さんはなまえちゃんがどこにいるのか分かっているみたいで、声は最初から僕の部屋に向けられていました。

「あ、お母さんだ。それじゃあ私行くね」
「はいです。また明日なのです」
「うん。……あのね、明日からは亜久津くんを迎えに行って登校しようと思うの」

 太一くんも一緒に行こうね。と嬉しそうになまえちゃんは言い残して、一メートル程しか離れていないバルコニーを伝って帰って行ったです。
 明日からはなまえちゃんと、亜久津先輩と三人で登校できるかと思うと、なんだからわくわくしてきたです! 亜久津先輩はちゃんと来てくれるでしょうか?

 さて、と僕は勉強机に戻ります。明日の事は楽しみだけれど、今はこの宿題を夕飯までに終わらせなければならないのです。
 途中まで計算式を書いたノートを覗き込むと、ぽたり、ぽたり、と二粒、何かの雫が落ちました。

「あ、れ……?」

 何が起こったのか分からなくて、濡れた頬を触って初めて、視界が滲んでいる事に気が付きました。両手の甲で拭えども拭えども止まらない涙に、僕は戸惑いの声を何度かあげたです。

「え? あれれ?」

 ついさっき、少しだけ顔を出したむず痒い感情が比べ物にならないスピードで溢れ出して、僕の目を伝って流れていくようでした。それでもむず痒さは減らずにむしろ増えていくばかりで、だんだんと胸をつっかえさせるような息苦しさに変わっていって、もうどうしたら良いのか分からなくなったです。
 ぼく、ぼく。どうか落ち着いて下さいです。僕にそっくりななまえちゃんの事だから、僕が大好きな亜久津先輩を、なまえちゃんが好きにならないはずがないのです。

 けれどあぁ、僕は気付いてしまったです。僕はきっと、女の子としてなまえちゃんが好きだったのです。

 でもこんな少し落とされただけでばらばらに砕け散ってしまう上に、壊れてからじゃないと気付かれもしない恋心なんて、きっとなまえちゃんは望んでいないのです。
 だから涙さん、どうか止まって。明日、僕は笑顔で二人と登校したいです。
 苦しいと泣いているわけにはいかない……こんな弱虫、なまえちゃんに選ばれなくて当然だったのですから。







お題はコチラからお借りしました。→ afaik

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