プレゼントはいらない


 好きな人がいる。

 その人は合宿所のカフェでバイトしている人で、名札をしてないから名前も知らないし、年上だ。けれど練習が終わった後とかに寄る内に顔を覚えてくれて、何も言わなくてもポンタを用意してくれたり、ぽつぽつ会話もするようになったり。
 自分でも単純過ぎて呆れるんだけど、そんな事を繰り返していたらいつの間にか好きになってしまったのだから、仕方ない。

 その日は12月に入ってしばらく経った日の事。練習の合間に自動販売機でポンタを買おうとしたら、たまたま缶を補充しに来たその人と鉢合わせたのだ。

「こんにちは」
「どもッス」

 偶然の事に喜びつつ(顔には絶対出さないけど)自動販売機の前を譲る。こうすれば補充をしている間、一緒に居られるから。
 けれど向こうは首を傾げ、動こうとしなかった。

「えっと、売り切れてた?」
「いや、そうじゃないけど」
「じゃあお先にどうぞ。君はお客様なんだし」

 微笑みながら言われてしまっては、従わないわけにもいかない。
 作戦が失敗してしまって悔しい思いをしながらも、俺は小銭を入れてポンタを購入した。
 ふふ、と吹き出すような声がしたのはその時だ。

「なに?」
「外でもポンタ買うんだと思って。大好きなんだね」

 ごめんね、失礼だったかな。と続けつつも、彼女は依然として笑い続けている。笑わせる事が出来たと喜べば良いのか、笑われてしまったと恥じれば良いのか分からず、俺は結局眉間にしわを寄せて不機嫌な声を出していた。

「……好きだけど、悪い?」
「そんな事ないよ。自販機でも切らさないように気を付けておかなきゃと思って」

 未だ尾を引く笑いを引きずりながら、彼女は機械を開け補充を始める。
 その姿をもうしばらく見ていたくて、ジュースはコート内では飲めないからと誰にともなく言い訳をしつつ、再び「ねえ」と声をかけた。
 彼女はこちらを見ずに相槌を打つ。

「もうすぐ冬休みだけど、バイト、続けんの?」
「続けるよ。お休みに入ったら毎日出勤!」
「……じゃあ、24日も?」
「朝から夕方までいつも通り」

 返ってきた答えに人知れず安堵の息を零した。彼氏とデートするから休みなんて言われたら多分、しばらく立ち直れない。

「俺、その日、誕生日なんだけど」
「へえ、クリスマスイブに!」

 彼女は補充の手を止め、感心したように声を上げた。いつもはクリスマスと一緒くたにされると反射的にイラついてしまうんだけど、こうして彼女の関心を引けたので初めてこの日に産んでくれた親父と母さんに感謝する。
 本題はここからだ。

「バイト終わったらさ、麓の町を案内してくんない?」

 確か少し前に、この辺りが地元だと言っていたから。
 話題を探していてとっさに思い出した事だ。利用しない手はない。

 審判を待つような気持ちの俺を他所に、彼女は「……なんもないよ?」と訝しげにした。

 そんな事、知ってる。本当は練習が終わった後に桃先輩と何度か下のスーパーまで買い出しに行った事があって、特に何もない田舎町が続いている光景を既に確認済みだ。けれど、そんなの関係ない。

「アンタがいれば良い」
「……すごい殺し文句だね」

 目をパチクリと瞬かせた後、冗談とでも思ったのか彼女は愛想の良い顔をした。
 殺し文句のつもりなんだけど。と思いつつ、それでも言葉には出来ずにぶっきらぼうに返事を促す。
 少し考えてから、やがて彼女は微笑んで答えた。

「私で良ければ」

 弾む心がどうしても俺の頰を緩める。けれどそんな情けない顔は見られたくなくて、帽子のつばを下げて隠した。

「じゃあ、約束」

 場内に休憩終了のアナウンスが響く。もう戻る時間だ。

「練習頑張ってね」
「サンキュ」

 背中に受けた応援の言葉に軽く答えながら、缶に残るポンタを飲み干してコートへの道を戻る。遅れると監督にペナルティを課せられてしまうだろう。グラウンド10周くらいだったらまだマシだけど、また山に籠もれなんて言われたら折角こぎつけたデートに間に合わない。
 あ、そうだ。

「言っとくけどデートだから。そのつもりでいてね」

 それだけ言って彼女の反応を見ないまま、俺はコートまで走ったのだった。

*****

 “その子”と出会ったのは、バイト先のカフェでの事。

 私のバイト先はテニスのU-17日本代表選手が合宿する施設……に併設されているカフェだ。山を開発して作られたこの施設へは、麓の町まで長い時間をかけて歩くか、午前と午後に一度ずつ往復する従業員用送迎バスを使うしか方法がない。
 バスを逃したら遅刻確定なんて言うなかなかスリリングなスケジュールにも関わらずこの場所を選んだのは、この町が東京都内と言う事が信じられないくらいの田舎で、地元民である私は他に近所のスーパーぐらいしか選択肢がなかったからだった。
 けれど山の中とは言え店内はおしゃれだし、来るのはスタッフか年の近い選手くらいだからそんなに忙しくもなくて、個人的には結構気に入っている。

 限られた人数しか来ない場所で働いていれば、常連さんの事はあっという間に覚えてしまうもので。流石に名前までは聞いてないけど、親しみを込めて密かにあだ名で呼んでいる人もいたりして。風船ガムくんやりんごジュースくん、クッキーコーヒーセットくん、モンブランくんは千石くんといつも一緒に来店する、なんて具合だ。(千石くんだけはナンパされた時に名前を教えてくれたから知っている)

 ちなみに今日は、私が心の中でポンタくんと呼んでいる子の誕生日らしい。それを知ったのは2週間くらい前の事で、ひょんな事から誕生日に麓の町を案内して欲しいと頼まれたのだ。
 選手の規則についてはよく知らないけれど、保護者がいないと外出できないから頼んできたとかなのかな。まあクリスマスにすらシフトを入れている寂しい身なので、案内する事自体は全然構わない。
 それにしても、誕生日なのにあんな寂れた場所に行きたいなんて変わった子だ。接客の時は随分クールな子だと思っていたけれど、「デートだから」なんて冗談も実は言っちゃうような子だったし、なかなか面白い。

 待ち合わせは私のバイトが終わった後に合宿所の正門前でと言う事なので、シフトを終えて着替えてから指定された場所に向かう。
 道すがら、いつもより賑やかな通路に誘われるように寄り道してみたら、食堂で選手たちが綺麗な飾り付けを片付けている途中だった。何してたんだろうと思いつつ様子をうかがっていると、千石くんがこちらに近づいてきてくれる。

「おねーさん! 今バイト上がり?」
「そうだよ。君たちはここで……?」
「誕生日パーティをしてたんだ」

 誕生日って、と口を開きかけたところで、ポンタくんが人混みをかき分けて出てきた。『今日の主役』と書かれたたすきを肩からかけている。思った通り、これは彼の為のパーティらしい。
 駆け寄るポンタくんに誕生日おめでとうと声をかける。短いお礼を返してくれながら、彼はいそいそとたすきを外した。

「ごめん、すぐ準備するから」
「私も終わったばかりだから大丈夫だよ。って言うかパーティしてるんだったら、寂しい町に行くよりもここに残った方が楽しいんじゃない?」

 こんな良い時間に会場から主役を取り上げてしまうのは申し訳なくて、私はこのまま帰っても全然構わないからと提案してみる。

「違う。パーティは昼で、もう終わってる」

 けれどポンタくんは頑なに首を振るばかりだった。
 主役がこちらに来ているからか、その内に中学生たちがわらわらと集まってきて、顔見知りの子に声をかけられ周りはどんどん賑やかになっていく。
 千石くんが手を打ち合わせたのはそんな時だった。

「そうだ! おねーさんも参加していかない? 越前くんの先輩たちはパーティを延長したそうだし」
「だめ。行かない」

 けれど私の代わりに即答したのは他でもないポンタくんで。

「ただでさえライバル多いのに、絶対取られるじゃん」

 たくさんの男の子たちからかばうように、彼は私を背中に隠す。

「俺のだから。……今日は」

 周りも私も呆気に取られている中、彼は私の手を取って出口に向かって走り出してしまった。
 合宿所は大きくて、建物から出て正門に着くまでは結構な距離がある。
 厳重な門扉をくぐって山道に入ったところで、息も絶え絶えの私はとりあえず止まりたくて口を開いた。彼の名前、名前……千石くんが呼んでいた名前は、確か……――

「ちょ、ちょっと待って、……ポンタくん!」

 あ、しまった。
 頭に酸素が行ってなかったからか、つい秘密のあだ名で呼んでしまった。
 足を止め、振り返った彼は怪しいものでも見るような目でこちらを見上げている。驚いて立ち止まってしまったのは明らかだ。
 呼吸が整うのを待つのももどかしく、息を吸う合間になんとか言い訳の言葉を探す。

「ご、ごめ、いつ、も、ポンタ買って、くから、つい……」
「……リョーマ」
「え?」
「ポンタくんじゃなくて、リョーマ。越前リョーマ」
「越前くん?」
「違う。リョーマ」
「リョーマ、くん」
「そう」

 リョーマくんは、ふ、と嬉しそうに表情を緩めた。大きなつり目がちの瞳が優しく細められる。

「オネーサンの名前は?」
「えと、みょうじなまえです」
「なまえ」

 聞かれるままに答えて、いきなりの呼び捨てにどきっとする。そうこうしている内に再びぎゅ、と両手を握られた。目線はリョーマくんの方が少し低いのに、手だけはずっと大きい。

「さっきの、本気だから」
「さっきのって?」
「アンタは俺のだからって事。あと、今日がデートってのも冗談のつもりじゃない」

 からかってる? なんて聞けないほど真剣な表情と声だった。琥珀色の瞳が、戸惑うくらいまっすぐにこちらを見つめている。今までちゃんと見た事がなかったけど、こんなに……綺麗、だったなんて。

「これからはそーいう目で見て。俺のコト意識してよ」

 じゃあ、行こうか。と手を引かれ、山道を下りていく。防犯の為の街灯代わりか、単にクリスマスだからか、周りの木々は青いイルミネーションライトで飾り付けられていた。その光に照らされたリョーマくんがやけに幻想的で、ただのバイト先のお客さんだったはずなのに、年下なのに、ときめく心を抑えるのが今夜はなんだか難しいみたい。







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