※夢主視点→最後だけ小春視点


 一氏くんが恋をしたらしい。
 そして私はそれが恋ではない事を証明する手伝いをしなければならない。

 こうして文章にしてみると随分意地の悪い事をするようだけど、本人きっての要望なんだから仕方ない。私はただお友達の小春さんが困っていたから、そのお手伝いができればと思って声をかけただけなんだけれど。

 そんな出来事があったのがつい昨日の話で、今は金曜の放課後、つまり華月のライブ本番真っ最中だ。私は観客席に座り、小春さんと一氏くんの出番を今か今かと待ち続けていた。既に何組かの漫才が終わり、私のお腹と口角が痛くなってきた頃、二人は大トリとしてステージに上がる。

「「どうも~!」」
「小春と」
「ユウジの」
「「一心同体、少女隊です!」」

 軽い調子で始まった二人の漫才は、昨日一度聞いた筈にも関わらず息が苦しくなるほど面白かった。むしろ内容を知っているだけに「来るぞ、来るぞ」と期待が高まってより面白った気がする。
 そんなこんなで気が付いたら二人は袖にはけていて、そこで初めて私は自分の使命を思い出した。ハッとするもすでに遅く、観客は一斉に出口に向かっている。私は例の『一際大きい笑い声の女子生徒』を見つけられなかったのだ。
 使命を全うできなかった私は肩を落としながら華月の入口で小春さんと一氏くんを待った。観客の生徒の退場は完了し、運営委員と出場生徒が出てくる中、二人は私を見つけてこちらまで来てくれる。

「なまえちゃんお疲れ様~♡ うちらの漫才どやった?」
「お疲れ様です、小春さん。すっごく面白かったです! でも……」

 小春さんと一氏くんに向けて、私は腰を曲げて頭を下げた。

「ど、どないしてん!?」

 小春さんの動揺する声が聞こえる。私は続けた。

「一氏くんが探している方、見つけられませんでした……ごめんなさい」
「なんや、そんな事? うちらも一回で見つかるなんて思っとらんよ。なあユウくん?」

 小春さんに優しく肩を叩かれ、顔を上げるよう促される。恐る恐る顔を上げると、微笑む小春さんの隣で一氏くんが腕を組んでこちらを見下ろしていた。その表情に怒りの感情は見られない。

「まぁ見つからんかったならしゃーないやろ。あの笑い声は今日も聞こえとったけど、俺らんとこのステージとそっちの客席じゃ聞こえ方もちゃうやろしな」

 肩をすくませる一氏くんは、落胆しているようにも、どことなくほっとしているようにも見え、感情の見当がつかなかった。てっきり「早う小春に俺の気持ちを証明せなあかんのに!」と怒られるかと思っていたのに、肩透かしを食らったような気分だ。

「でも来週もお願いしたいから、月曜日に作戦を練らへん?」

 最終的に小春さんにそう言われ、私は承知して帰路に着いたのだった。

*****

 そして月曜日。教室に着いた私はまたもや想定外の光景を目にする事になる。普段なら当たり前のように一氏くんに占領されている私の席が、今日は空いているのだ。
 私と小春さんは窓際の列のど真ん中に席を連らせている。今日の一氏くんは窓枠に寄りかかるようして立っていた。

「おうみょうじ、おはようさん」

 しかも小春さんとお話ししている状態の一氏くんがこちらに気が付いて、ガルガルと威嚇するでもなく挨拶してきたではないか。

「お、おはようございます、一氏くん、小春さん……えっと、座らないんですか?」
「いや、そこみょうじの席やろ」

 何言うてんのや、と一氏くんはけらけら笑う。ますますいつもと違う態度にもはや混乱していると、一氏くんは何かを察したのか急に眉をきっと釣り上げ、腰に手を当てた。

「かっ、勘違いせなや! 協力してもらっとるんやから優しくせんといかんって、俺も気付いただけやからな!」

 ああ、と私は納得し頷く。どうやら一氏くんにも人の心はあったらしい。
 とにかく、私は席に座った。

「それじゃあなまえちゃんも来たし、作戦会議しまひょか」

 カバンの中身を机に移し終えたタイミングで小春さんにそう言われ、私は頷く。後ろに座る小春さんと、その横に立っている一氏くんの両方がよく見えるように椅子の角度を調整すると、一氏くんとの距離が意外に近くて少し気まずくなった。
 それから喋っていたのはだいたい小春さんと一氏くんで、私はほとんど聞いているだけだった。議題はもちろん『どうやったら次の華月で例の笑い声の主を特定できるか』だったけれど、途中で脱線してテニスの話をしたり、かと思いきや漫才が始まったりと、聞き手になっているだけでも十分すぎるほど楽しかった。
 そうしている内に、私はある事に気が付く。小春さんと話している一氏くんは普通の男の子みたいだと言う事だ。今までこちらに敵意を向ける姿しか見た事がなかったけれど、こうして見るとむしろクラスメイトの男子よりよほど表情をくるくると変えて、天真爛漫だとすら言えるかもしれない。小春さんと過ごしている時間がよっぱど楽しいんだなと、微笑ましく感じずにはいられないくらいだった。

「おい……おーい、みょうじ?」

 そんな事を考えている内に、いつの間にかぼーっとしていたらしい。気が付けば一氏くんが私の顔の前で手をひらひらと振っていた。

「え、あ、はい?」
「なんや、ボケッとしてんな」

 ふ、と一氏くんは表情筋を緩ませ、切長の瞳がくしゃりと更に細くなる。その笑顔が小春さんにではなく自分に向けられたという事実に私は驚きを隠せなかった。

「え、と……すみません」

 思わず謝罪が口をついて出る。一氏くんは「別に謝らんでも良いけど」と更に顔を緩ませた。……今日は槍が降るかもしれない。

*****

 それから数日間、作戦会議のため私たちは三人でいる事が多かった。とはいえ『金曜日のライブで私がどうにか笑い声の主を探す』と言う事以外に話し合う事なんて特になく、作戦会議の実態はほぼ雑談だったのだけれど。

……いや、作戦以外の事でなら、変わった事がひとつある。それは私の中の一氏くんに対する印象だった。顔を見るなりどっか行けとでも言わんばかりに邪険にされていた頃と打って変わり、話が通じるようになると一氏くんは呆気ないほど〝イイヤツ〟だったのだ。
『恋をしている人は輝いている』と、いつかどこかで読んだ事がある。そんな表現がぴったりですらある彼の小春さんへの対応は完璧な紳士だし(少し行き過ぎな面もあるけれど)、そのついでと理解はしていても、柔らかくなった私への態度に最初は大いに戸惑った。けれど日を追うごとに戸惑いはなくなり、私は一途な一氏くんが微笑ましくて、眩しくて、目を細めていた。
 気が付けば、私は小春さんの役に立ちたいと言う気持ちの他に、純粋に一氏くんの手助けがしたくなってきていたのだ。

 そしてあっという間に木曜日が来て、今はちょうど帰りの会が終わったばかり。教室中が帰り支度でざわつく中、私は肩をつつかれて振り返った。途端、頬に小春さんの人差し指が刺さる。ありきたりな悪戯でも頭がついていけず、私は目を丸くした。

「どうしたんですか、小春さん?」
「どうかしたんか聞きたいのはうちの方やで。なまえちゃん、さっきからため息ばーっかしとるやないの」

 悩み事があるなら聞かせてや、と小春さんは眉尻を下げる。思っても見なかった言葉に咄嗟にどう返答して良いか分からなかった。
 そんな中、一氏くんがカバンを持って私たちの前にやって来る。

「小春、部活行くで!」

 話題が外れた事に私は内心胸を撫で下ろした。

「うち今日はパス」

 けれど小春さんの返答は予想もしなかったもので。思わず驚きの短い声を上げると、意図せず一氏くんの大げさな声を重なった。すると小春さんはなんでもないように続ける。

「今日の部活って、テニスやのうてオサムちゃんのお笑い講座、かっこツッコミかっこ閉じ、やないの。うちが毎回行っとったら、あっという間にユウくんより優秀なツッコミになってまうで?」
「うっ……一理あるな」

 一氏くんがあまりにも簡単に納得させられ、言葉に詰まらせていた。
 一理あるんかい、と私は内心ツッコミを入れざるを得ない。漫才の時はツッコミをやる事が多い一氏くんだけど、普通に生活してる分には結構天然ボケだという事も最近の一氏くんに関する発見の一つだった。

「うちはなまえちゃんと教室で待っとるから、部活終わったら明日のライブの練習でもしまひょ♡」
「ほな……おいみょうじ」

 急に名前を呼ばれ、身体がビクリと跳ね上がる。遠慮がちに見上げれば、一氏くんはどこか不服そうな目でこちらを見下ろしていた。

「俺を差し置いて小春と二人っきりになれるんや、感謝しいや!」

 それだけ言うと、一氏くんは一週間ぶりにガルガル吠えながら教室を後にしたのだった。一週間ぶりの敵意はいっそ新鮮で、「おかえりー」と呟きたくなるところをなんとか我慢する。

「さて、と」

 そして再び、小春さんは私をまっすぐ見つめた。
 いつの間にか、教室には誰もいなくなっている。

「これで心置きなく喋れるで?」
「小春さん……」
「無理強いはせんけど、悩みがあるなら聞かせてや。友達だから力になりたいって、最初に言って来たんはなまえちゃんの方やろ?」

 優しい声色に、私はいつの間にか胸の奥で燻り出した気持ちを吐き出さずにはいられなかった。教室と直近の廊下に誰もいない事をもう一度確認し、私はタメ語で話し始める。3人で過ごす時間が日に日に楽しくなっている事、それが明日には終わってしまうと思うと、寂しくてたまらないのだと言う事。
 私が話している間、小春さんは静かに聞いていてくれた。一息ついたタイミングを見計らって小春さんは口を開く。

「心配せんでも、うちとなまえちゃんは元から仲良しだし、今までとなんも変わらんよ?」
「そうじゃないの。小春さんとの事は全然心配してない……けど」
「けど?」

 言いかけておいて、私は口籠ってしまった。小春さんの言う通りだ。私と小春さんは元々仲が良いから、きっと例の声の主を見つけても関係が変わることはない。
 けれど脳裏に浮かぶのはくしゃりと表情を緩めた一氏くんの顔だった。記憶の中の輝きだけで、私はつい目を細めてしまう。どうやら私は自分が思っていた以上に、彼のひたむきさに癒されていたらしい。

「一氏くんとは、これが終わったらきっと今みたいに話す事もなくなるだろうから。……一氏くんってすごいなーって、最近思うんだ。小春さんに対してあんなに一生懸命で、微笑ましくて、眩しくて、ちょっと可愛い。この一週間、一氏くん見て癒されてたから、それがなくなっちゃうのが寂しいのかも」

 なんて一息で言ったら、私ってどれだけ2人のファンなのって、ちょっと恥ずかしくなった。いつの間にか漫才だけでなく人柄のファンにまでなっていたようだ。

「なまえちゃんには、一氏くんが眩しく見えるんや?」

 小春さんはにっこり笑って私に尋ねた。相方を褒められて悪い気はしないのだろうと思い、私は頷く。

「恋をしてる人は輝いてるって本当だったんだね」

 もちろん、相手は小春さんだ。今まで小春さんの一氏くんへの気持ちは聞いて来なかったけれど、もしかしたら聞いてみる良い機会かもしれない。

「ユウくんが輝いて見えるんはなまえちゃんだけかもしれへんで?」

 私が質問しようと思っていた矢先、小春さんから聞き捨てならない言葉が発せられた。思わぬ方向に話が進み、私は戸惑いを隠せない。

「え、そんな事ある? 小春さんには輝いて見えてない?」
「ウチには特に。ユウくんはいつもユウくんやで。なんでやろな?」
「それはきっと小春さんが一氏くんを見慣れてるから……」
「そうかな? ほんまにそう思う?」

 小春さんはにこにこ笑顔なのに、何故だろう。その質問には言葉以上の意味が含まれている気がして、私は簡単に頷く事ができなかった。次の言葉を考えている内に小春さんはふと壁の時計を見上げ、通学カバンを手に取る。

「そろそろオサムちゃんの講座が終わる頃やわ。漫才の練習があるさかい、うちは行くな」
「あ、ここでするなら私が帰るよ」
「ええんよ。今日は部室で練習したい内容やから、なまえちゃんはゆっくり帰る準備しとって」

 なるほど、と私が了承すると、小春さんはあっという間に教科書をカバンに詰めて教室を出て行ってしまった。
 残された私は消化不良の気持ちをどうしようかとしばらく窓の外を眺め、けれどどうにも出来ずに抱えたまま帰路についたのだった。

*****

 教室を出た小春が最初に目撃したのは、壁に背を預けて俯くユウジの姿だった。
 やっぱり、と内心ため息を吐きながら小春はユウジの首根っこを掴み、歩き出す。

「ほら、なまえちゃんに見つかる前に行くで」
「あぐ、苦しいって小春!」

 小春が有無を言わさずなまえを教室に残して行ったのは、扉の外で立ち聞きしているユウジの姿が目に入ったからだ。
 男テニの部室に到着し、ユウジを長椅子に放り投げる。他の部員がそれぞれ何があったのかと遠巻きに見守る中、小春は妙にしょぼくれたユウジの前に立ちはだかった。

「ユウくん、普通に教室入って来れば良かったのに。なまえちゃんに見つかりたくない理由でもあったん?」
「……あいつが、敬語やなかったから」

 ああ、と言われて小春は気が付く。今更過ぎて気にした事がなかったけれど、なまえが人前では敬語で小春と2人きりの時だけはタメ語になる事を、そう言えばユウジは知らなかったのか。

「うちとなまえちゃんは一番のお友達やさかいな」
「ほんまにそれだけか?」

 ユウジの視線は今まで小春が向けられた事のないものだった。――嫉妬、ライバル心、そうとしか思えないような鋭いそれに、小春はあえて含みを込めて口角を上げ、応える。

「本人に聞いたらええやろ。……さ、明日の練習始めまひょか♡」

 そして空気を変える為に両手を打つと、ネタ帳を広げてさっさと漫才の話題に移った。ユウジは納得しきっていないような表情をしながらも従う。そんな彼の様子に、小春はいよいよオモロ……いや、期待……いやいや、あくまで心配せざるを得ないのだった。







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