無自覚に与えられた抱擁


「おら待てなまえ!」
「きゃー! 長太郎くん助けて!」

 こうして今日も寸分違わず、同じ茶番が始まった。
 それは午後の練習の休憩時間ではお馴染みの風景で、向日先輩がマネージャー業をこなしているなまえ先輩にちょっかいを出すのだ。内容は例えば背後からくすぐる事だったり、記録表を奪って逃げ回る事だったりで、今日は前者だった。向日先輩は逃げ回るなまえ先輩を執拗に追いかけ、なまえ先輩はコートを2つ突っ切って俺の背中に隠れる。そういえば少し前に「長太郎くんは背が高いから見つけやすくて、優しいから隠れやすいね」となまえ先輩は言っていた。

「もう、二人とも落ち着いて下さいよ」

 そして俺も、いつも通り苦笑いで二人を宥める。これはテンプレートのように毎日行われていて、二人とも飽きないのかと内心不思議に思った。向日先輩が俺の背後に回ろうとすれば、なまえ先輩は俺の正面へ。そうしたら今度は向日先輩はそれを追って、なまえ先輩はまた俺の背後へ。俺よりもいくらか背の低い二人のつむじが顎の辺りで行ったり来たりするのは滑稽とも言えた。

「岳人、良え加減にせぇや」
「あ、ちょ、ゆーし!?」

 俺もなんだかんだ口だけで、苦笑しながら軽くなまえ先輩をかくまっていると、向日先輩は忍足先輩に首根っこを掴まれて連れて行かれてしまった。後には俺と、俺の背中に抱きついたままのなまえ先輩だけが残る。小柄な向日先輩よりも更に小さななまえ先輩の腕は俺の臍の辺りの高さにあった。……その華奢な腕に包まれて、内心俺の胸が高鳴るのも、いつもの事、だ。
 俺が向日先輩の彼女であるなまえ先輩の事が好きだと気が付いたのはもう随分前の事で、その頃から先輩は何かある度に俺の背中に隠れていた。

「もう、岳人ってばいっつも人で遊ぶんだから!」
「あはは、楽しそうですよね、向日先輩」
「私の身にもなってよ。部員が休憩だからって、マネージャーの業務が無くなるわけじゃないんだからね」

 先輩はまだ腕を解かない。背中に当たる膨らみに、どうしても意識が集中してしまう。俺って変態だ、と自己嫌悪を覚えた。

「良ければ何か手伝いましょうか?」
「ううん、大丈夫、でもありがとう。岳人にも長太郎くんの半分で良いから優しさがあれば良いのに!」

 背中越しで見え無くとも、なまえ先輩が口を尖らせているのは容易に想像できて、だらしなく緩む口を抑える為の頬が痛かった。ああどうしよう、先輩、俺の前で他の男の文句を言わないで下さい。俺を褒めないで下さい。期待、してしまいます。ドキドキと脈打っていた左胸は更に速くなり(その内死んでしまうんじゃないか?)何かを我慢する様に、喉が勝手に唾を飲み込もうと上下する。けれど口の中はからからで、乾いた何かが胃に降りていくだけだった。何故だか俺は酷く焦っていて、気が付いたら口を開いていた。

「……先輩は、毎日こんな事繰り返して嫌にならないんですか?」

 え? と高い声を上げた後にうーんと唸って、それから少しだけさっきよりも強く抱かれる。ああほらもう、また貴女はそうやって俺を期待させる。お願いだから一言、言って下さい。「もう嫌になっちゃったから、長太郎くんに変えようかな」って。

「……岳人だから嫌じゃない、かな」

 ですよね。と俺は内心呟いた。後襟から氷水を入れられたように全身が冷たくなって、妙に冷静になる。分かっていたのだ。少しだけ強められた腕も、俺じゃない向日先輩を想い出しての行為なのだと。期待するだけ無駄と言うものだ。

「はは! 本当に仲が良いんですね」
「えへへー、それじゃあ私もう行くね。いつもありがと!」

 俺の腹に巻き付いていた細い腕はやっと解かれ、なまえ先輩は忙しなくコート場を動き回って部員達のドリンクボトルを回収していく。もうすぐ休憩時間が終わるようだ。

……あの抱擁は、貴女には何の意味も無いんだろうけど。それでも俺は、宍戸さんでも忍足先輩でも日吉でもなく俺の後ろに毎日隠れるなまえ先輩に、この焦がれるような想いを抱かずにはいられないのだ。







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