むかしむかし、あるところに


 アレンデール全体を覆っていた雪が解けてから1年が経った、ある夏の日。
 アナは城の廊下を駆け抜け、エルサが公務をこなしているであろう王室に向かっていた。廊下の突き当たり、天井にまで及ぶ大きな扉の前には片方に2人ずつ門番が立っている。彼らを急かすようにして彼女は扉を開けさせ、滑り込んだ。するとそこで自身の姉が手紙の塔の囲まれながら書類に目を通しているではないか。

「おはようエルサ!……って、何、これ!?」

 口をあんぐりと開け、手紙の塔を避けながら中央の机へと近付いて来る妹に、エルサも「おはよう」とため息まじりに答える。そして財政書類から目を上げると、うんざりしたように頬杖をついた。

「……全部求婚の手紙よ」

 エルサが女王になって1年――どうやら世界中が、アレンデールには王配が必要だと思っているようだった。結婚なんてまだ良いのに、と続ける姉とは裏腹に、アナは小さく息をのんでから満面の笑みで彼女に詰め寄る。

「すごいわ、この中に姉さんの運命の人がいるのね!」
「まだ受けると決めたわけじゃないわ」

 けれどエルサは妹の肩をそっと押し返し、席を立った。街全体を見渡せる窓まで数歩、鍵を開けてベランダへ出る。不満そうな妹はすぐに後ろを着いて来た。

「どうして? 素敵な人がいるかもしれないのに」
「今は女王の仕事に専念していたいの。それに……」

 それに……エルサは少しだけ怖がっていた。国民や妹は彼女の力を受け入れてくれたけれど、夫となるなら話は別だ。この国の外から来た人にとって、この力は恐ろしく感じるかもしれない……。受け入れたはずの運命は、彼女の心に未だ小さな氷の刺を残していたのだった。
 エルサは自身の街を一望する。青空が広がる過ごし易い夏のアレンデール城下町は、港で魚を売る漁夫や、花を売り歩く少女、そして道に落書きをして遊ぶ子供達で賑わっていた。その美しさに、彼女は感嘆のため息をつく。彼女が王室の公務にやりがいを感じているのも事実だった。

「それに?」

 アナは彼女の顔を覗き込むようにして、言葉の続きを促す。いつの間にか考え込んでしまったようだ。エルサは小さく首を振って、頭の中のモノを振り払った。

「それに……アナはもう一度パーティがしたいだけでしょ?」
「う、それは、否定できないけど……って、エルサ!」

 大げさな位コロコロと表情を変えるアナを見て、エルサは心底楽しそうに笑う。からかい甲斐のある妹と話すのは本当に楽しい。

「それよりもアナ、貴女の方はどうなの?」
「私の方?」
「クリストフとの事よ。もう1年になるんでしょう?」

 エルサの言葉にアナは2度、大きく瞬きをした。そして頬を染めて「順調よ」と鈴のように笑う。

「私はすぐにでも結婚したい位なんだけど、彼はもう少し今の仕事をこなしてからの方が良いみたい」

 今日もこれからデートなの。と彼女は続けると、部屋の中に戻って時計に目をやる。城のあちこちに置かれている立派な柱時計は、もう約束の時刻を差し示すところだ。

「いけない、急がなくちゃ!……とにかく!! 姉さんも少しは自分の事について考える事、私との約束だからね!」
「はいはい。早くしないと遅れるわよ」

 嵐のように去って行く妹を見送り、エルサは部屋中に積み上げられた手紙を見つめる。約束ならば仕方がない……適当に1人見繕って、晩餐にでも招待しようか。彼女は一番近くの束から一通手に取ると、それを持って机の前に座った。封を開け、文面に目を通す。少しだけ頭を捻ってから、返信を書き始めた。

*****

 そして1週間後、アレンデールの港に一艘の船が到着した。アナは丁度その時オラフと散歩をしていた所で、すぐに港へと駆け付ける。エルサから聞いた話によると、客人は西の海の向こうからやって来た、とある小国の王弟殿下らしい。
 姉さんの運命の人はどんな人かしら? と彼女は心を躍らせて野次馬の後ろで背伸びする。なんとか人混みをくぐり抜けられないかと模索していると、彼女の目に入ったのは城の中へ運ばれて行く〝大きな物〟だった。ビロードの布で包まれたそれはライオンが優に5匹は入る大きさだ。

「あれを見て、オラフ! きっと姉さんへの贈り物に違いないわ」
「ワオ! この人はエルサの事が大好きなんだね!」
「この事は姉さんには黙っておきましょう? 素敵なサプライズになるわ」

 2人は顔を見合わせて嬉しそうに笑う。そして活気のある町へと駆けて行ったのだった。

*****

「――国の、なまえ殿下です」

 客人用に開かれた大広間の玉座にエルサは座っていた。彼女の前に伸びる赤いカーペットは入り口まで続き、その先から従者を連れた青年が歩いてくる。黒い艶やかな髪は癖がなく、切れ長の瞳は理知的な光を宿していた。彼が玉座の前まで来るのを待ってエルサは立ち上がった。2人の間には幾つかの段差があるので彼を見下ろす形となったが、それでも彼の背が高い事はうかがえる。軽く会釈をすると、彼は深く腰を折った。

「お招き頂きありがとうございます。なまえと申します」
「こちらこそ、貴方の来訪を歓迎します。アレンデールの女王、エルサです」

 お顔を上げて、とエルサの声でなまえは目線を上げ、彼女の差し出した手に軽く口付けた。

「晩餐の準備は出来ておりますわ」
「それは有り難い」

 先に部屋へ案内させましょう、とエルサは続ける。なまえは頷き、彼女が呼んだ従者に従って部屋を出たのだった。

*****

 その夜の晩餐は滞りなく行われた。2人以上での食事は随分と久しぶりで、エルサもアナもいつもより口がはずむ。なまえも落ち着いた聞き役に回ってはいたが、感じの良い受け答えをしているように見えた。

 そして夕食後、アナは1人従者も付けず庭に佇むなまえを見付ける。自分もふらりとどこかへ行ってしまうのだが、それにしても彼は自分の従者との交流が全くないように思えた。あれは自由気ままに行動していると言うよりは、まるで従者たちに避けられているような……なんて事が頭に浮かんで、掻き消すようにアナは首を振る。今日会ったばかりとは言え義理の兄になるかも知れない人物に対して、勝手な想像で悪い印象を抱きたくはなかった。
 よし、とアナは心を決める。人となりが分からないなら話をすれば済む事だ。アナがなまえの方へ近づくと生け垣が揺れて、彼がこちらを振り返った。

「……何か」
「あ、えーと……こんばんは! お元気?」
「……あぁ、良い食事だった」

 目線をアナから外しながらなまえは答える。身分の高さが同じアナの前だからか、彼の口調がくだけた物になっていた。その方が気楽だ、とアナは肩の力を抜く。夕食の時に発見したのだが、なまえの表情はあまり動かない。それに必要以上の事はあまり話さないようで、2人の間に会話がなくなるのは遅くなかった。
 話しのタネがないかと、アナは必死で頭を動かす。そして昼間、船から運び出された箱の事を思い出したのだった。彼は未だにあのプレゼントを渡していないではないか。

「そう言えば、姉さ……女王へのプレゼントの事なんだけど」
「プレゼント……何の事だ?」

 少しだけ、なまえが眉を寄せる。アナはそれを見て「とぼけてるのだわ」と内心つぶやきニヤリとした。

「あの大きな箱の事よ。船から運び出されるのを見たわ」

 女王へのサプライズプレゼントなんでしょ?中身は何?いつ渡すの?本気で姉さんに求婚するのね? とアナは詰め寄る。立て続けに繰り出される質問に、答えは一向に帰って来なかった。
 ふと彼女が我に返ってなまえを見上げると、彼は苦虫を噛み潰したような顔で「あれは……」と呟く。そして、吐き捨てるように口を開いた。

「勘違いしないで欲しいのだが、俺は女王と婚姻を結ぶ気はない」

 一瞬、アナは何を言われたのか理解できなかった。けれども戸惑いながら放たれた言葉は、彼によって更に否定される事になる。

「で、でも……そっちが先に求婚の手紙を寄越して来たんじゃない」
「確かにそうかもしれない。けれど、あれは王が勝手にやった事だ。俺個人としてはあくまで招待されたから来ただけに過ぎない。下手に断って、そちらと戦争する気も毛頭ないからな」

 それでは、俺はこれで失礼する。と締めて、彼は城の中へと消えてしまった。残されたアナはあんぐりと口を開けたまま、あまりの衝撃にしばらく立ち尽くすのだった。







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