あるひ、こおりの女王さまがであったのは


 アレンデールに到着した次の日の朝、なまえは単身城の庭で散歩をしていた。昨日から同じ場所をうろついてばかりだ、と内心自嘲するが、それでも部屋の中に閉じこもっているよりかはずっと良い。木漏れ日の中に立って、辺りを見渡す。木々が生い茂り、近くの池からアヒルの親子が這い上がり、列を成して歩いていた。アレンデールの庭は随分と美しいものだと、なまえは静かに感心する。
 ふと、足元を過ぎるアヒルに違和感を覚えた。何事かと目を凝らしてみると1羽足りないではないか。目線を泳がせる。すると最後尾の一際小さな1羽が芝生のくぼみ――うさぎの巣だろうか――にはまって動けなくなっていたのだ。なまえはそっと近付き、子アヒルを救い上げる。暴れるアヒルを落とさぬよう力加減を調節していると、自然と小さな笑みがこぼれた。

*****

 西の海から客が訪れた次の日、エルサはひとり、欠伸をかみ殺しながら回廊を歩いていた。昨晩は妹の話に付き合わされて眠るのが遅くなってしまったのだ。今日は特に急ぎの公務はないが、それでも山のように積もった細々とした仕事――先王がいなくなってから、溜まりに溜まった書類など――をこなさなければならない。
 エルサが中庭を囲む回廊を進んでいた時だった。視界の端で、見慣れぬ黒を見付けたのだ。意識をそちらへ向けてみると、中庭で客人が片膝をついているではないか。彼は芝生の中へ手を伸ばしている。そして小さなアヒルをすくいあげると、なんとも予想外の柔らかな笑みを浮かべたのだった。

『眉間をこーんな風に寄せて仏頂面で、「女王と結婚する気などない」ですって。失礼にも程があるわ!』

 昨晩のアナの言葉を思い出す。聞いていた話とは随分違う。
 なまえがアヒルを元の列に加えてやったのまで見届けたところで、エルサは思い切って声をかけてみることにした。

「動物はお好き?」

 彼女の気配に気が付かなかったらしく、彼ははっとしたように振り返る。相手が女王だと分かると軽くうつむいてかしずこうとしたので、エルサは手でそれを制した。そこで初めて、なまえは「おはようございます」と口を開く。

「動物は嫌いではありません。それに、この庭はとても美しい」
「ええ。父……先王の頃から自慢の庭なの」

 不幸な事故で死んでしまった両親の顔が頭をよぎって少しだけ切なくなった。呪いの恐怖を乗り越えた今の私を、天国で誇りに思ってくれていたら良いのだけれど……とエルサはひとり祈った。そんなセンチメンタルな気持ちを振り払うかのように小さく首を振って、彼女は「ところで」と口を開く。そしてこう続けた。

「昨日は随分と妹を楽しませてくれたようね」

 皮肉めいた口ぶりは晩餐の事ではなく、その後の会話の事を言っているのだとなまえはすぐさま理解した。こんなに早く話が伝わるとは、この姉妹はこうも仲が良かったのか。と彼は誰にも悟られない位小さく眉を寄せる。昨日の〝アレ〟は少々軽率な行動だったか。これで女王の機嫌を損ねて、外交にまで影響してしまっては目も当てられない。

「妹君には申し訳ない事をしてしまいました。その、昨日は楽しい食事でしたので、飲み過ぎてしまって、つい……」
「つい本音が出てしまった。ってところかしら?」

『冗談が過ぎてしまって』とまでは言わせてもらえなかった。即興で作り上げた嘘まで軽くいなされてしまい、これはいよいよ面倒だとなまえが溜め息をつきそうになる。すると意外にもエルサはクスリ、と笑ったのだった。

「そう構えないで。私はむしろ味方ができて嬉しいのだから」
「味方……?」
「ええ。実は私も結婚する気なんてないの。貴方には悪いのだけれど、適当に1人選んで、その気があるように見せかけているだけ」

 だからそうかしこまらないで。と続けるエルサを、なまえは面食らった顔で一瞥した。思った反応と違っていたのでエルサは首を傾げてどうしたのかと問う。すると彼はたっぷり間を置いた後、口を開いた。

「驚いた。てっきり……」
「てっきり?」
「〝雪の女王〟と言う異名の通り、公務最優先の冷徹女だと思っていた」
「な、なんですって……!?」

 心外だ、とでも言うようにエルサの顔が歪む。けれどなまえと目が合い、彼の口角がわずかに上がっているのが見えた。2人の心持ちが同じだと知って、態度を砕けさせたのは明らかだった。
 彼、こんな顔して冗談も言うのね――そう思ったところで怒りよりも先に笑いが込み上げてしまった。ぷ、と吹き出す。それを合図に、2人は思い切り笑った。

「あなたこそ、アナから聞いていたイメージと違うわ」
「と言うと?」
「失礼なのには変わりないけど、もっと我が儘で冷血漢なんだと思ってた」

 辛辣な言葉を選んだのはわざとだった。彼女の思いがけない仕返しに、なまえは今度こそ口をあんぐりと開ける。そんな彼を見て、エルサは更におかしく思えてきた。お腹を抱えるくらい笑ったのはいつぶりだろうか。
 彼の機嫌を損ねるかもしれない。ふとそんな事が頭をよぎり、エルサは目尻に滲んだ涙をぬぐいながらそっと謝った。しかし意外にも彼は照れ臭そうにはにかみ、髪に手を突っ込んだ。

「止してくれ……本当はシャイなだけなんだ」

 思いがけない表情を見てエルサはどきりとする。意外な事とは案外続くもので、昨日の時点では彼のこんな表情が見れるだなんて露ほどにも思っていなかったとエルサは目を丸くした。こんなにかわいい顔もするのね。と一瞬だけ彼が魅力的に見えたが、エルサは気の所為だと慌てて自分に言い聞かせるのだった。







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