僕たち色々ありましたね

- 病んでる高校時代編 -


​ 高校に入ってからの俺の豹変っぷりは、玉村ほどでないにしろ周りを驚かせるには充分だったらしい。

「お前さー、中二病もいい加減にしろよ」

 玉村に合わないよう、廊下を曲がる度に身を隠し左右を確認する俺はさぞかしウザかったのだろう。何度友人にそう言われた事か。しかし玉村は不良の癖に授業には出るし成績も良いから、教師達も噂を知っていても何も言わないのだ。世の中は不公平だと思う。

「うっせ、中二じゃねーし」

 俺が玉村を恐れている事は絶対に誰にも秘密だった。たった1人の女の子をここまで怖がるだなんてカッコ悪いからだ。そもそもあの日何があったのか俺自身が覚えていないのだが、思い出そうとすると全身が震えて冷や汗が出るのだから、きっとそういう事なのだろう。

 こんな感じで、俺は怯えつつもなかなかに穏やかな高校生活を送っていた……高校1年生の春休みまでは、だ。
 高校に上がった俺は、夏休み前から地元から少し離れたふんばりが丘のコンビニでアルバイトをしていた。その日も変わらず、店の前のごみ箱を片付けていた時の事だ。

「おにーいさん」

 ふと呼びかけられて振り返ると、明らかに不良ですという井出達の学ラン男3人に囲まれていたのだ。

「俺たち金なくて困ってんだよね」
「だからさ、レジからちょーっと、ね?」
「どうせ誰も見てないっしょ? 助けると思ってさー」

 そいつらは同じ高校生だっただろうか。どちらにせよ、ケンカなど生まれてこの方した事もない俺には脅威でしかなかった。奴らの言う通り、店長は店の奥で寝ていてこの事態に気付いていない。かと言って言われた通りにレジから金を抜けば、俺が泥棒扱いされてしまうだろう。
 けがの一発や二発ほど覚悟した、その時だった。

「――通行の邪魔よ」

 高めの声が響く。誰かと思いそちらを見ると、なんと日本刀を持った玉村が立っていたのだ。右手に収めた鞘の中身が本物でない事を祈る。
 不良どもは声をかけて来たのが女子だと分かった途端俺の周りを離れ、今度は玉村を取り囲んだ。

「お前には関係ねーだろ?」
「女は大人しく家でマカロンでも食っとけよ」
「……おいちょっと待て、よく見るとこの子、結構可愛いぞ」

 不良の1人が玉村の肩に手を回す。無性にイラッとしたが、ヘタレな俺は見ている事しかできなかった。
 すると玉村は回された腕を掴み、捻り上げたのだ。

「邪魔だって言ってるでしょ」
「こ、のアマァ……!」
「下手に出てりゃ調子に乗りやがって!」

 当然の如く不良どもは逆上し、玉村に殴り掛かった。けれど玉村は一瞬の間に攻撃をかわし、剣を抜く。真剣が再び鞘に納められる頃には(やっぱり本物だった……!)不良どものズボンが切られ、汚いパンツが晒されていた。傍で見ていた俺も脚の間がヒュンッとなり、思わず前屈みになる。

「次は殺すわよ」
「「「お……お、お、覚えてろよー!」」」

 なんてベタな言葉を吐きながら、不良どもは去っていった。玉村は何事もなかったかのように再び歩き始める。そして俺の前まで来ると、濁った眼で一瞥して「あら、」とつぶやいた。

「もしかして、みょうじくん?……ふーん、ここでバイトしてるんだ」

 久しぶりね、と続けられ、ニヤリと玉村の口角が上がる。日本刀がガチャリと音を立て、気が付けば俺は店の中へ走っていきジュースを買って玉村に献上していた。
 さようなら、俺の穏やかな青春の日々よ……。

*****

 玉村と再会した次の日は、高校2年生としての初登校日だった。新しく振り分けられた教室の、それも俺の隣の席に、玉村は座っていたのだ。

「みょうじくんじゃない。昨日ぶりね」
「ききき昨日はど、どもッス、玉村さん!」

 俺は気付かれまいと必死で顔を逸らし背中を向けていたが、努力虚しく5秒でバレてしまった。仕方なく玉村の方を見る。影のある雰囲気は別として、髪の毛を伸ばし、顔立ちも大人っぽく美人になった玉村に不覚にもときめいた。

「また1年、よろしくね」

……前言撤回。瞳を妖しく光らせる玉村は、完全に狩る側の人間だった。

 根に持たれている!

 確信した瞬間、俺の身体は瞬時に動く。気が付けば自動販売機まで走り、再びジュースを買って玉村に差し出していた。

「またなの? 頼んでないのにどういうつもり?」
「いやぁ、まぁ、今までご迷惑おかけしてきましたし! あは、あはははは!」
「……ふーん」

 玉村はジュースを開けて1口飲んでから、教科書を取り出す。わざわざ高い位置から机の上に置き、大きな音を立てた。俺の肩が跳ねる。

「みょうじくん、私の事苦手でしょ?」
「い、いえいえ、誤解ッスよ!」
「良いのよ別に。……嫌われているのは、昔から分かってたんだから」

 どことなく寂しそうな、悲しげな表情だった。大人しかった頃の玉村を思い出す。あの頃玉村に抱いていた俺自身の気持ちまで否定された気がして、俺は恐怖など忘れて彼女の手を取っていた。

「そんな事は、ない」

 玉村は目を丸くする。心なしか耳の端が赤かったがしかし、次の瞬間にはナイフのように鋭い視線を取り戻して睨んでくるのだった。

「離して。殺すわよ」
「さーせんっしたーっ!!」

 背中に天狗でも控えていそうな気迫に、俺の身体は勝手に土下座をしていた。

*****

「飲み物をくれるのは構わないんだけど、学校では目立つからこっちにしてくれる?」

 その言葉を受け取ったのは、再びバイトをしていたコンビニ前での事だ。あれからシフトが遅い時間になる度に店の前を通る玉村を見かけ、聞けば元からこの辺りに住んでいたのだという。最近帰宅する時間が遅くなって、あの日もたまたま俺のシフトと被る時間に帰って来たのだとか。
 俺は店が忙しくない限り、玉村が店の前を通る度に声をかけていた。なぜなのかは俺にも分からない。けれど暗がりの中日本刀を持って歩く彼女が、昔の引っ込み思案だった頃の玉村よりも弱く、儚く見えた気がした。
 だからと言って俺達の距離が縮まるわけでもなく、毎回お茶を献上して(ジュースは太るからと怒られた)二三言話すだけだった。相変わらず俺は玉村が怖かったし、向こうも事ある毎に日本刀の柄を弄ってカチャカチャ言わせ、俺を更に震え上がらせる。

 そんな日々が当たり前になってきていたある日、同じように玉村に飲み物を献上し、大した話もせずに店の中へ戻った時の事だった。

「みょうじくん」
「あ、店長、お疲れ様ッス」

 けれどその日は偶然店長が仮眠を早めに終え、渋い顔をして待ち構えていたのだ。

「今の、彼女?」
「いやいや、ただの知り合いですよ」
「あれ不良でしょ? 困るんだよねー、溜まり場とかにされると」

 昨日までの優しい姿とは打って変わって、店長はゴミでも見るような目で俺を見てくる。「しかも君、店の商品渡してたよね」と言われ、俺は思わずカッとなった。

「あれは、俺がちゃんと金を出してから!」
「とにかく、今日はもう上がって良いよ。明日からも来なくて良いから」

 有無を言わせず、店長はこれ見よがしにレジの金額をチェックし始める。俺は制服を脱ぎ捨て、店を出るしかなかった。
 店の裏口を乱暴に閉めると、重い扉が派手な音を立てた。それにすらむしゃくしゃしながら路地へ出る。すると玉村が目の前に立っていた。

「……店の外から見てたわ。あれ、私の所為よね」

 ごめんなさいと俯く玉村に日頃の恐い面影はなく、ここ最近の成果もあってかなんだか話し易い気がした。

「いや、玉村の所為じゃないよ。店長が頭でっかちなだけ」

 むしろ辞められてすっきりしたぜ! なんてわざと明るめに言うと、玉村は何かを考えた後思い立ったように口を開く。

「明日、午後6時にふんばりが丘の駅前まで来て。バイト紹介してあげる」

 それだけ言うと、さっさと夜の向こうに消えていったのだった。

*****

 学校が終わり、俺は玉村に言われた通りふんばりが丘の駅に立っていた。時刻は5時半――乗り換えがうまくいったおかげで、随分早く到着してしまった。やる事もないしヘイユーで時間でも潰そうと思っていた時、駅の正面を横切ったのは他でもない玉村だった。俺は声をかけようと、右手を軽く上げる。

「おー……い、」

 しかし俺の声は尻すぼみになって玉村に届く事はなかった。夜にいつも見る時のように日本刀を握る彼女はしかし、男と一緒に歩いていたから。
 お、お、お、男か! デートなのか!? 思わぬ場面に気が動転し、俺は気付かれないように距離を置きつつ尾行していた。

 玉村達が向かっていたのは寂れたボーリング場だった。もう使われなくなって数年建っているのか、崩壊も進んで不気味な場所だ。中に入ると更にたくさんの不良たちが玉村を待ち構えていた。ひとり、ふたり、さんにん……ざっと数えただけで20人以上いる。

「タイマンって聞いてたけど?」
「有名なシュケバン巫女の玉村たまおに、サシで勝負するとでも思ってんのかよ?」
「今日こそ決着をつけて、西東京はオレ達が貰うぜ!」

 そうだそうだ、と不良たちは騒ぎ出す。その中の数人は明らかに厭らしい目をしていて(男同士だからこそ分かる事だ)玉村が負ければどうなるのかは明白だった。
 ふっざけんな! そう思った時には既に、俺は玉村の前に飛び出していた。

「みょうじくん!?……ここは危険よ。早く退きなさい!」

 いきなり現れた俺に玉村は一瞬驚くも、すぐに険しい顔をして俺を押しのけようとする。けれど俺が動く事はなかった。

「ばっかやろう! お前自分の事分かってんのか、女の子なんだぞ!!」

 想像以上に大きな声が出て、玉村は呆けたように俺の顔を見ていた。俺もすぐに我に返り、言葉にならない何かを繰り返す。顔が熱い。しかし横から襲う衝撃で俺の身体はふっとび、それどころではなくなった。

「イチャついてんじゃねーよ。ったく」

 殴られた頬が痛い。起き上がる前に不良に囲まれ、全身を蹴られる。頭を両手で抱え、守るのが精いっぱいだった。

「ほらほら、早くしねーと彼氏がボコボコになっちまうぜ?」

 玉村は獣のような瞳を尖らせ、刀を鞘から抜き取る。いつかの時のように、どこかでブチッと何かが切れる音がした。

「……アンタ達、私を怒らせたわね」

 それからはあっという間だった。瞼が切れ、視界が血でほとんど埋まった俺でも見えるくらい次々と玉村は不良どもを倒していく。意識を失う直前、比喩でなく天狗を後ろに従える玉村の姿を見た気がした。

*****

 頬を硬いもので思いっきり押される感触がして、俺は痛さで目を覚ます。最初に視界に入って来たのは古びた和室の天井だった。

「痛ってぇー!」

〝硬い物〟の方目がけて飛び起きると、そこにはやたら目つきの悪い小僧が手を差し出して座っていた。どうやらコイツが俺の腫れている頬を押しまくっていたらしい。どっかで見た事がある……と思いきや、その幼児は昔、玉村が連れていたボウズだったのだ。

「お前、たまおかーちゃんのカレシか?」
「たまおかーちゃんって……ホウズ、お前やっぱり玉村の息子なのか!?」
「たまおかーちゃんはたまおかーちゃんだ」

 思わずホウズの方へ身を乗り出す。けれど全身に受けたケンカ傷が災いして、少し動くと体中が呻き声を上げた。

「――花ちゃんダメでしょ、お客様に失礼な事をしちゃ」

 不意に襖が開き、廊下から玉村が現れた。何やらお盆を持っている。玉村の私服を見るのは初めての事で、真っ黒なワンピースもなかなか似合うじゃないかと内心見とれた。ボウズ――花と言ったか――は頬を膨らませて玉村を見上げたけれど、「今日の分のお受験勉強は終わったのかしら」と言われた途端にギクリとして立ち上がった。振り向きざまに俺に向かって〝アッカンベー〟をして部屋を出る。玉村が咎めるように名前を読んでも気にしていないようだった。

「玉村、俺……」
「気を失っていたから、家に連れて来たわ」
「ごめん。俺、でしゃっばったくせに、カッコ悪いな」
「全くよ。私ひとりで充分だったのに」

 表情を変えずに言われた言葉は結構クるものがあったが、事実なので何も言えない。俯いていると、玉村は持っていたお盆を俺の近くに置いた。土鍋に入った雑炊が、ほかほかと湯気を立てている。

「食べて、しばらく休んだら帰って。申し訳ないけれど、もうバイトは紹介できないわ」

 それだけ告げると、玉村はさっさと部屋から出て行ってしまったのだった。

 この日から、俺達が話す事はなくなった。玉村は登校しても授業が終わったらさっさとどこかへ消えてしまっていたから。俺は戸惑いながらも、戻って来た穏やかな高校生活を満喫し、高校を卒業した後は県外の大学に通うため、東京の地を離れたのだった。







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