僕たち色々ありましたね

- 恋の花咲く社会人編 -


​ 月日は流れ、俺は大学を卒業し会社員になった。しばらくは大学のある地方都市で生活していたのだが、ある日転勤を言い渡される。「ずっと待ってるから、必ず迎えに来てね……!」なんて言ってくれたいじらしい年下の彼女を残して、俺は再び東京の地を踏む事になったのだ。

 東京での生活は全てが懐かしくて、けれど実家を離れて会社に通いやすい場所に引っ越しをしたので、ひとり暮らしを始めた場所は地方にいた時よりもむしろ小規模な町だった。
 木枯らしも冷たくなってきた頃。仕事にも慣れて来た俺は、帰りにいつもは通らない道を選んだ。途中で大きな川があり、河川敷でおでん屋を見つける。移動式の屋台を実物で見るのは初めてで、俺は思わず暖簾をくぐっていた。

「初めてなんですけど、良いですか?」

 愛想笑いをしながら席に座ると、気の良さそうな主人が歓迎の言葉をくれた。屋台には先客がひとり、すでにビール片手におでんをつついている。驚いた事にそれは女の人で、もっと驚いた事に、彼女は俺を穴が開くほど見つめていたのだ。

「……もしかして、みょうじくん?」

 その声と面影に見覚えがあった。脳裏に浮かんだのは目に涙を浮かべる少女と、大人びた同じ顔で睨んでくる姿だ。

「…………玉村?」
「やっぱりみょうじくんなのね!」

 久しぶり! と顔を明るくする彼女は案の定小学生の時から知る人物で、だが思い出の中の姿とはまた違った、穏やかな女性に変貌していた。

「いつの間に戻ってきたの?」
「今年の春だよ。玉村は今何やってるんだ?」
「旅館経営と演歌歌手よ。……どっちもあまり売れてないんだけど」
「すげーじゃねぇか! 今の内にサイン貰っとこうかな。旅館も接待とかに使わせてよ」
「ぜひ! 板前の腕には自信があるのよ」

 ビールで乾杯した後、思い出や現状の話に花を咲かせた。久しぶりと言う事もあってお互い饒舌になり、飲む量も増える。俺も随分気持ち良くなってきたし、玉村も心なしか宙に浮くような表情になっていた。

「高2の時の事、覚えてる? みょうじくんがバイトをクビになった時の事」
「ああ、覚えてるよ」
「あの時は本当にごめんなさい。みょうじくんには色々迷惑かけたわ」

 バイトの紹介もね、本当は旅館のお手伝いとかして貰えないかなって思っていたの。でも、私の所為でみょうじくんけがまで負っちゃったから、もう近付かない方が良いかもって。
 そうしみじみと語りだす玉村につられて、俺も幼かった頃に思いを馳せる。何故玉村をあんなに怖がっていたのだろう。彼女が不良だったのは事実だが、学校では誰隔てもなく優しかったのに。

「玉村の所為じゃないよ。それに、俺も昔から玉村には色々迷惑かけてたし……ずっとからかって本当にごめん」

 身体を玉村の方に向け、深々と頭を下げる。いくらあの頃の俺に悪気がなかったとは言え、玉村を傷つけて来たのは事実だ。
 そんな俺の姿を見て玉村は「良いのよ。もう忘れたわ」と軽く笑った。救われた気持ちになって俺は顔を上げる。

「……今だから言えるんだけどさ」

 前置きをして、俺は整理の付いた気持ちを心の思い出箱から取り出した。

「玉村は俺の初恋だったんだ」

 だから余計虐めていたのだと、今思い出しても恥ずかしい。
 玉村は一瞬だけ驚いた後、「ちょっとだけそうじゃないかなって思ってた」と苦笑した。

「ま、なんにせよ今は全部良い思い出だよな」
「私たちももう二十歳も過ぎちゃったものね」
「アイツ覚えてる? ほら、俺が玉村を虐める度に割り込んできた女子」

 玉村が頷く。その元クラスメイトが去年結婚し、今は子供も生まれた事を伝えた。結局アイツとは高校を卒業するまで同じクラスで、腐れ縁だった。

「……みょうじくんは、今は良い人いるの?」

 それは気を遣っているような、恐る恐ると言ったような聞き方だった。瞬間、俺の脳裏には遠距離恋愛中の彼女の顔が浮かぶ。少し照れくさい気持ちをビールと一緒に流し込んでから答えた。

「いるよ。地方に残して来ちゃったんだけど、いつかは結婚したいと思ってる」

 同じ質問を今度は玉村にも返す。玉村は逆にコップを机に置き、何かを考えるように水面をあそばせていた。

「私は全く。色々あるしね」
「あのボウズとか、か?」
「ホウズって……花ちゃんの事ね」

 肯定の意味を込めて俺は黙り込む。やたらと態度の悪いあの少年は、今は小学生くらいだろうか。

「……私ってね、実は拾われた子なんだけど、花ちゃんはお世話になった家の息子さんの子なの」

 そう語る玉村の瞳は遥か遠くを見つめていて。その切ない瞳から、〝お世話になった家の息子〟とやらの事がずっと好きなんだなと、嫌でも伝わってきた。そして母親が玉村以外の誰かである事も。

「私ったらなんでこんな話をしてるのかしら。きっと飲みすぎたのね」

 急に明るさを取り戻してビールをあおる玉村は、これ以上この話をしたくないのだろう。俺もわざと声の調子を上げ、話題を変えた。

「ところで玉村、最近疲れっぽいとかないか?」
「特にはないけど、どうしたの?」

 気付かれないようこっそりと、玉村の足元に纏わりつく透けた狸と狐を見やる。実を言うと、俺は高校生の時――ちょうど玉村の喧嘩に巻き込まれた当たりの時期から霊が見えるようになっていたのだ。

「いや、忙しそうだなって思っただけで、ないなら良いんだ」

 きっと玉村は足元の動物霊に気付いていない。下品な顔ではあるが害はなさそうだし、今はそのままでも良いだろう。
 そろそろ帰らなければならないと言った玉村に合わせて、俺も食事を切り上げて帰路についたのだった。

 それから俺達は週に2度ほどの頻度で集まっては杯を交わしていた。別に約束していた訳ではないけれど俺はこの店のおでんの味が気に入ってしまったし、玉村に至っては常連らしい。彼女が来なかった日はひとりで夕飯替わりにおでんを食べて、来た時は昔話や会社の愚痴に花を咲かせた。

*****

 そして今日も、すっかり常連になってしまった俺はその屋台にいた。

「しゅじーん、もう一杯日本酒!」
「お兄さん飲みすぎだよ?」
「いーから、あとはんぺんと大根も追加で!」

 店の主人が呆れながらも言われた通りの物を置いてくれる。俺は既に机に突っ伏してしまうほどのアルコールを煽っていた。

「こんばんは……って、みょうじくん!?」
「たまちゃんも言ってやってよ、お兄さん飲みすぎだって」

 どうしちゃったのよ、と玉村は戸惑いながら俺の隣に座る。玉村が注文をする前に、俺は彼女に抱き着いた。自分の中でかろうじて残る冷静な部分が俺を止めようとするが、酔ってしまった身体はなかなかいう事を聞いてくれない。

「玉村ぁー結婚してくれー!」
「は!? 何言ってるの、嫌よ!」
「えー!?」
「メジャーデビュー前にスキャンダルなんて最悪だもの。それに、みょうじくんにはもう心に決めた相手がいるでしょう?」
「その彼女に振られたんだよー!」

 玉村が目を見開く隣で、本日何杯目かの日本酒をぐいっと飲み干す。頭は更にふらふらになり、俺は聞かれるまでもなく話し始めていた。あんなに好きだったのに、実は二股をかけられていた事、と言うか俺の方が所謂キープだった事も。

「『なまえくん良い会社に就職したから結婚もアリかなって思ってたんだけど、本命の方がもっとランク高い所に内定貰ったから、ごめんね』だと。ひーどーくーねー!?」

 延々と絡み愚痴をこぼす俺を、玉村は呆れながらもずっと隣で話を聞き続けてくれた。
 どれほど時間が経ったのだろうか。いい加減にしろと店の主人に怒られ、俺は屋台を後にした。タクシーに乗せられ、呂律の回らない状態で住所を告げる。玉村が一緒に乗り込んでくれた。俺は車内でも玉村に絡み続けた。既に理性はなく、身体と心がちぐはぐに動いているのが分かる。

「ってか玉村、お祓い行ったほーが良いぞ? お前に憑りついてるたぬきときつね、すっげー下品な顔してっからな!」

 馬鹿みたいに笑いながら告げると、玉村は微妙な顔をしていた。当然だ。きっと何を言っているのか分からないのだろう。彼女は「すみません、うるさくて」とタクシーの運転手に謝っていた。

 アパートに到着する。スーツのポケットから鍵を探し出してくれたらしく、玉村が扉を開けてくれた。俺はもうひとりで立つ事も難しくて、支えられながら部屋に入る。

「ほら、しっかりしなさい!」

 放り投げられるようにされて、着地した先はベッドの上だった。電気は消えているが、雰囲気で玉村に見下ろされているのが分かる。すぐ傍に彼女の手があったから、引っ張ってベッドに押し倒した。

「ちょっとみょうじくん、どういうつもり!?」
「自分が女の子だって分かってんの、って前にも言った事忘れたのか?」

 抑え込む玉村の手首は想像よりずっと華奢で、折れてしまいそうだった。身長だって俺の方が高いし、こんな小さな身体でどれだけのものを背負っているんだと悔しくなる。その中に、俺はいないのだから。
 俺は玉村の胸に手を置いて、首筋に顔を埋める。意外にも暴れられなかった。

「抵抗しないのか?」
「……どうせ操を立てる相手なんて、いないもの」

 諦めの入ったその声が、俺は無性に許せなかった。酔いが醒めていくのが分かる。玉村を拘束していた手を解き、背中を向けて寝転がった。

「あーあ、やーめた。寝る」

 そのまま目をつぶる。玉村の体重がすぐにベッドからなくなった。
 意識が完全になくなる直前、扉が閉まる音を聞いた気がする。

*****

 それから俺がもう一度あの暖簾をくぐったのは、あの泥酔した日から半月ほど経った日の事だった。
 そっと暖簾の中を覗き込む。おでんが煮込まれていた場所には今は鉄板が引いてあり、店の主人が焼きそばを炒めていた。カウンターの客側では、3つ並んだ丸椅子のひとつが埋まっている。もしかしなくても、そのピンクの髪には見覚えがあった。

「座らないの?」

 冷めた声が俺の肩を跳ねさせる。ここまで玉村が怖いのは少し懐かしい。恐る恐る椅子をひとつ分開けて席に着いた。ビールを注文する。主人が料理してくれている間手持無沙汰で、チラリ、と目線だけで玉村を盗み見ると、特に怒っている様子はなく、いつも通りだった。

「この間は、ごめん」
「どのくらい覚えているのかしら?」
「お恥ずかしながら、全部」

 っていうか、だからこそまたここまで来るのに時間がかかったわけで。と続けると、玉村は呆れた顔で笑いながらも「一杯奢ってくれたら許してあげる」と軽い調子で返してくる。その笑顔が、まっすぐに伸びた背筋が、強くて、

「……俺、やっぱり玉村の事が好きだ」

 気が付いたら告白していた。初めてちゃんと2文字で表した感情がしっくりと俺の心に入り込む。そこは小学生の頃からずっと、空っぽだった場所なのに。
 玉村はこれでもかと言う程目を見開いていた。口が何度か開いたり閉じたりして、言葉を探している。

「え、だって、ちょっと待って、あれって、酔った勢いだったんじゃ」
「あの時は、それもあったんだけどさ」

 いやぁ、と改めて恥ずかしくなり、俺は誤魔化すようにビールに口をつけた。店の主人は気を遣ってくれたのか、おまけでお好み焼きを置いてくれた後タバコを吸いに消える。
 玉村の目に浮かんでいるのは戸惑いのみで、軽蔑が入っていなくて安心した。

「元カノが結構、不安定な子だったんだ。今思うと、高校の頃の玉村を重ねてたんだと思う」

 半月考えて、幼い頃から変わっていない自分に気付いた。俺の心の中にいたのは、いつだってあの日の、先生の後ろで隠れて真っ赤になっていた女の子だったのだ。
 よし、と覚悟を決めて、玉村をまっすぐ見つめる。玉村の顔は見る見る内に赤くなり、向こうも実は変わっていない事に気が付いた。きっと日本刀を振り回していたあの頃も、今も、玉村は変わらない。言いたい事が言えないくらい弱いくせに、俺がどんなに虐めてからかっても負けないくらい強い、ただひとりの女の子なのだ。

「別に休日は会ってデートしようとか、そんな事はしなくてもいいんだ。玉村が何か大切なものを抱えているのは分かってる。ただ時々こうして会って、愚痴を言い合って、一緒に過ごせる相手がいるんだって互いに知ってたら、それで」

 こんなの、都合が良いだけの言葉に聞こえるかもしれない。俺は結婚まで考えていた人物に振られたばかりで、信用もないかもしれないけれど。
 玉村はこっちが不安になる程の間をおいた後、ふ、と小さく、けれど信じられないくらい優しい表情で口角を上げた。

「そうね……私がオリコン1位になった時にまだ2人の関係が変わらないでいたのなら、考えてあげる」

 玉村の目の端が潤んでいる。俺も泣きそうになるのをぐっと抑える為に、お好み焼きを頬張った。

「CDたくさん買わないといけないな」
「握手券も付けてあげるわ」

 冗談みたいな会話が心地良い。その日玉村は始終優しい表情で耳の上を赤らめていて、俺もいつもより気持ち良く酔いが回るのを感じた。

 その日からしばらくは何も変わらない日々が続いた。相変わらず玉村とは週に2回ほどの頻度で会い、同じように酒と愚痴を交わし、互いに別の帰路につく。……あ、ひとつだけ変わったとすれば互いの呼び方が「たま」と「なまえくん」に変わったぐらいか。

 数年後、たまがお世話になったと言う家に挨拶に行き、会社で勤める傍ら修験者としての修行を始めるだなんて、この時の俺はまだ想像もしていなかった。



おわり







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