恋するお隣さん


〝ピピピピピピピピピ……〟と言う最早不快な電子音が響いて、私は鈍い動作で枕元の目覚まし時計を止めた。もう一度眠りたいと言う欲求を抑える為に両手で頬を二回叩く。……よし、気合い入った。
 木曜日、今日は燃えないゴミの回収日だ。

 布団から這い出て、まずはシャワーを浴びる。ほんの少しだけ残っていた昨日の飲み会からの酒気を、寝癖と一緒に洗い流した。
 風呂場から出たら次は化粧だ。鏡の前で慎重に服を選んで、その後で薄化粧を施して。全身を確かめてから、私は鏡越しの自分に語りかけた。

「何気ない顔……何気ない顔で挨拶よ、なまえ!」

 そして玄関の前に立って外に出――るのではなく、耳をピタッと付けて外の音を聞く。二回目の深呼吸をしたのと同時に、ガチャリと隣の扉を開ける音が聞こえた。1、2、3、とゆっくり数える。もう一度だけ深呼吸をして、私は玄関に置いておいたゴミ袋を引っ掴んで扉を開けた。

 自室から抜け出すと、真っ黒なふわふわパーマのお隣さんが廊下を歩いて行く所だった。はうぅ……今日も、後ろ姿ですらもかっこいいです!
 偶然を装って後を着いて歩く(木曜日の生活リズムが偶然同じなんです、という設定だ)。ゴミ捨て場まで、十秒だけのランデブーの開始である。

 そう、私はお隣の千歳さんに恋をしているのだ。千歳さんはこの間の四月に越して来たお隣さんだ。まだ構内で見かけた事は無いけど、多分大学生。と言うのも、ここはアパートに見えて実は四天宝寺学校系列が共同で借り上げている学生寮だからだ。何故か毎日同じような白いシャツだけど、登校時間もバラバラだし、何より大人っぽいし、高校生って事は無いと思う。もしかして理系の人で、あのシャツは白衣の代わりなのかな? 妄想しだすと止まらない。

 そんな事を考えている内にゴミ捨て場に着いてしまった。ゴミを出す千歳さんの隣に並んで、私も自身のそれを置く。そして彼に目を向けた。良いなまえ? 何気なくよ!

「おはようございます、千歳さん」
「おはようさんみょうじさん、今日もむぞらしかね」

 目を細めて薄く微笑みながら挨拶を返してくれる千歳さんは、やっぱり今日もどうしようもない程かっこいい。意味も、何弁かすらも分からない彼の言葉に、「あははー」と曖昧に返した。いつもの事だ。
 そのまま千歳さんは駅の方角へ。講義が昼からの私は部屋へ戻るのもいつもの事。なんだけど……。

 分かってるでしょ、なまえ、このままじゃだめ。このままでは何も発展せずに、愛想の良いお隣さんで終わってしまう。今日こそ…今日こそ何か違う事をするのよ! もちろん、何気ない顔で!!

「あ、あの!」

 一歩二歩と踏み出していた千歳さんの背中に声を投げかける。振り返ってくれた彼は、意外そうに目を丸くしていた。

「なんね?」
「あの、えっと……。そうだ、いつも言ってる〝むぞらしか〟って、どういう意味なんですか? 私ずっと気になってて……」
「…………あー、だけんね」
「え?」

 千歳さんはたっぷり間を置いた後、失念していたとでも言うような声を上げた。そして少しだけ気恥ずかしそうに髪に手を突っ込んで、頭をかく。

「むぞらしかっちゅーんは、可愛かって意味たい。なーんも反応せんばってん、男として見られとらんば思っとったい」
「か、かわっ!?」

 可愛いって……今日も可愛いって……男として見るって……!! 余りの衝撃に顔を中心に身体が熱くなる。薄く塗ったファンデーションでは隠しきれない程、多分今の私は真っ赤になっているのだろう。
 そんな私を他所に、千歳さんはまたふわりと微笑んでこちらに近付いてくる。長い足で三歩足らずで私の目の前まで来て、大きな身体で私を抱きしめた。

「……好いとうよ、みょうじさん」
「あの、えっと……私も、です」

 緊張で固まる私のつむじのずっと上で、千歳さんが満足そうに笑みを深める吐息が聞こえた。

「ところで、みょうじさんは大学生やけんね?」
「はい、そうですけど……」

 千歳さんは何回生ですか? と聞く前に彼はもう一度口を開く。彼の顔を見ようと顔を上げると、首が痛くなった。

「俺、中学生ばってん、それでも良かとね?」
「え、ちゅ……えぇ!?」

 思っても見なかった事実に今度は私の目が見開かれる番だった。
 彼の白シャツの胸元が目に入る。初めてちゃんと見るそれには確かに『四天宝寺〝中学〟』と書かれていた。……さ、詐欺だ。こんなに大人っぽい中学生がいるなんて!

「まぁ今更駄目だとか、そぎゃんこつ言われてももう離さんばいね」

 少し屈まれて、耳元でそう囁かれて。
 あぁもう中学生でもなんでも良いやと思っている私がいた。

 お父さんお母さん、ごめんなさい。なまえは犯罪者になります……。







押して頂けると励みになります。無記名一言感想大歓迎です!