みをつくしてや こひわたるべき
この世界には普通の人間には見えない奴らがあちらこちらにいる。ははうえは彼らと仲良く話したり、時には知恵を授けて貰ったり等としているようだけれど、麻葉童子はははうえの後ろに隠れてばかりで、ろくに話した事がない。
何故なら、
「鬼の子!」
「きつねの子!!」
あいつらを見た次の日は、決まって石を投げられるからだ。
「気持ちわりー!」
「お前も鬼と同じだ! 人に災いをもたらすんだ!!」
がつん。肩が痛いと思っている間に、こめかみにもうひとつ石が当たった。雨のように浴びせられる石を全て避けるなんて不可能で、麻葉童子は衝撃に身を任せて倒れ込む。下手に抗うと長引くのは分かっていた。
麻葉の思った通り、仰向けに倒れると彼を囲んでいた子供達は手を止めた。やっと気が済んだらしい。
「これに懲りたら、もう里に降りて来んなよな」
そして麻葉の頭に唾を吐きかけると、やけにすっきりとした足取りで去って行ったのだった。
「…………お前らなんか、飢えて死んでしまえ」
人がいなくなった後で、吐き捨てるように呟く。
そもそも僕が里に降りた訳でなく、あいつらが勝手に山へ入ってきたんだ。そう思ったが声には出さなかった。最初の一言で、口の中が切れていて痛い事に気付いたからだ。
木々の向こう側にある青空が忌々しい程にまぶしい。目を逸らしたくなって、麻葉はだるい身体で寝返りを打った。視界の端に自分の血で赤くなった地面が見える。鬼の子に流れる血が赤いのなら、人間の血は緑か青なのだろう。なんせあいつらは残酷だ。
目を閉じるとなんだか眠たくなってきた。どうせ動けば腹が減るだけだし、いっそ日が沈むまでここで寝てやろうか……――
〝何か柔らかいもの〟が麻葉の頬に触れたのは、そんな事を考えていた時だった。
「――っ!?」
驚いて跳ね起きると蹴られた横腹が痛んだが、おかまいなしに目を見開く。そこにいたのは同じく驚いた顔の、彼と同年程の少女だった。右手を所在無さげに浮かせている。頬に触れた〝柔らかい物〟とは彼女の手だったようだ。
「び、びっくりした! 生きてたんだ?」
「……僕にかまうな」
傷付いた身体に鞭を打って起き上がる。けれど今日の打ち所は特に酷かったようで、麻葉はすぐに片膝をついてしまった。まったく不便な身体だ。こんな時くらい、里の子がよく言う〝鬼の力〟が使えれば良いのに。
「酷い怪我……!」
無理しちゃだめだよ、と少女が肩を掴もうとするので麻葉は乱暴に振り払った。本当に苛立たしい。こいつもどうせ、すぐ掌を返すに決まっている……!
「近寄るな!!……僕は鬼の子だぞ」
低く唸って少女を睨みつける様は、さながら野生の動物のようだった。向けられた敵意に少女は放心している。
ほぅら、よく見ておけ……すぐにこいつの顔が歪み、足下の石を投げ付けてくるぞ!――
「……なーんだ」
否、少女はそれをしなかった。それどころか麻葉が予想だにしなかった行動に出る――笑ったのだ。
「私と一緒だ」
少女の言葉に、今度は麻葉が呆ける番だった。
ほら、あやかし同士、とりあえず水辺に行こうよ。きみ汚いよ。
そう続けて差し出される少女の手を、気が付けば麻葉は取っていた。
*****
「私なまえって言うの。きみは?」
「……麻葉童子」
「じゃあ麻葉だね」
なまえに手を引かれるまま、麻葉は山の中腹にある小川に来ていた。彼女はまず麻葉を座らせてから、懐の手ぬぐいを取り出して水面に浸ける。そして固く絞り麻葉の額に当てた。傷口を拭われるのは痛いけれど、手ぬぐいの冷たさが気持ち良い。
ふとなまえを盗み見て、伏し目がちな瞳が長い睫毛に縁取られているのが印象的だと思った。間近で母親以外の異性を見るのは初めてだからだろうか、麻葉は自身の頬に熱が集まるのを感じる。ひとりで勝手に気まずくなって会話の糸口を探して、やっと出てきた言葉は自分でも驚くほど焦っていた。
「さっ、さっきの!……さっきのあれは、どう言う意味だ? ほら、お前も僕と同じ、鬼の子だ、って」
ああ、あれね。と彼女はくすくす笑う。そして何ともないように続けた。
「私ね、きつねの子なの」
「僕もそう呼ばれる。鬼の子だとか、きつねの子だ、って」
「…………私のかあさまってね、すごいんだよ」
たっぷり間を置いた後に彼女は口を開いた。話を逸らしたのかと一瞬麻葉は顔をしかめたが、すぐに思い直す。
彼女が狐の〝子〟ならば、狐なのは――
「とっても綺麗だし、お歌も舞も上手だから、男の人はみんなかあさまの事好きになってしまうの。……だからね、あいつは男を惑わす女狐だって、女の人はみんな言う」
はい、終わったよ。と言う一言で麻葉は我に返る。彼が聞き入っている間に手ぬぐいは随分汚れ、代わりに彼の手足は綺麗になっていた。
さようならも言わず、なまえは立ち去ろうとしていた。未だ濡れている手ぬぐいを乾かすように、端を持って振り回している。気付けば麻葉はその手を取り、來里を引き止めていた。
「僕もお前と同じだ。だから、えっと、その、」
今まで他人に拒絶されて、他人を拒絶してばかりだったから、こんな時どんな言葉をかけて良いのか分からなかった。けれど目の前にいる少女をこのまま行かせてはならないと、そんな思いだけで動いていた。
だって、やっと見付けた仲間なんだ。
「…………かくれんぼ」
「え?」
「だから、一緒にかくれんぼ、しないか」
遊ぼうだとか、友達になろうだとか、そんな言葉も浮かんだけれど恥ずかしくて。身頃を握りしめて麻葉は捲し立てる。本当はまだ少し、拒絶されるのではないかと言う不安が残っていた。怖かった。
けれどそんな彼の不安を払拭するように、なまえは見る見る内に顔を輝かせる。これでもかと言う程大きな笑みと紅潮した頬がまぶしかった。
「うん!!」
その日2人は、生まれて初めて誰かと一緒の野山を駆け回った。
――2人で食べたどんぐりの苦さを、かくれんぼで君を見付けた瞬間の高揚感を、僕はずっと忘れない。