今すぐキミに会いに行こう
「ほらなまえ、あそこの人とか暇してそうだよ」
「さあなまえ、行きな!」
「……本当にやるの?」
「当たり前! 負けた子は罰ゲームって決めたでしょ」
「うーー……分かった…………」
始まりはホンの些細な出来事だった。
飛行機が着陸してから那覇市街地に入るまでの40分、暇を持て余したなまえとその友人は罰ゲーム付きのトランプゲームをしていたのだ。
『負けたら現地で逆ナンね!』
罰ゲームの内容を決めたのは誰だったか。絶対嫌だと言ったなまえの声は聞き入れて貰えなくて、それどころか彼女は負けてしまった。
そんな経緯があり、修学旅行の地にてなまえは見知らぬ少年に声をかけなければならない状況だった。本人の意見を無視して決められたターゲットは、数メートル先の広場でひとり座っている少年だ。帽子を被っているけれどその下の髪の毛が随分と明るい。見るからに不良かチャラ男ではないかと、なまえは足がすくむ思いだった。
もう一度背後を見る。建物に隠れるようにして顔を覗かせる友人らは、一様に「早く行け」と目線で訴えていた。仕方ない。なまえは大きく深呼吸して彼に近付く。誰かと待ち合わせてますように、断られますように! と祈りながら。
「ね、ねえ、そこの君!」
「……わんぬ事かー?」
ところがどっこい。なまえは思わず目を見開く。
振り向いた彼はびっくりするくらいイケメンだったのだ。
「ぬーがや?」
「え、あの、えーっと」
怪訝な様子で顔を覗かれて、なまえは我に帰る。きみの顔に見とれていましたなんて言えず、必死で後の言葉を思い出した。
そうだ、友人に決められていた台詞は――
「お、お姉さん達と、ちょっと遊ばない?」
「…………お姉さん、たちぃー?」
彼の言葉は沖縄の訛りがかなり強く、標準語を繰り返す様子は見ているこっちが違和感を覚えるほどだった。正直さっき何を言われたのかも検討がつかないし、今現在言葉が通じてなかったらどうしようなんて不安すら湧いてくる。同じ日本で言葉の壁に突き当たるなんて予想もしていなかっただけに、なまえの背中に嫌な汗が流れた。
「やーひとりやし」
なまえの不安に反して、言葉はとりあえず通じているようだった。その事実にホッとするけれど、眉をひそめて辺りを見回す彼に嫌な予感しかしない。振り返ると案の定、見守っているはずの友人がどこにもいないではないか。
図られた! なまえは思わず拳を握る。面白おかしく立ち去る友人の姿を思い浮かべると、地団駄を踏みそうな勢いだった。
「…………ぷっ、」
しかしその様子を見て、例の彼は吹き出したのだった。
「ははは! やー、遊ばれたさー」
図星過ぎて返す言葉がない。なまえは泣きたい気分だった。
折角遠い沖縄まで来て、今日は半日自由行動だったのに……目の前にいるのは友人ではなく、見知らぬ少年(イケメンだけど、多分不良)がひとり。途方に暮れるのも無理はない。
「それにしても、『お姉さん達と遊ばない?』って、うひぐゎー古いさー」
そんななまえの心労を他所に、少年はわざとらしく肩をすくめた。反射的に顔が熱くなって、弁解の言葉が勝手に飛び出す。
「だって、みんなが言えって!」
「まあいーけど。わんもちょうど暇してたしな」
「…………え?」
「要するに!」
遊びに行かねーんか?
真っ白な歯を惜しげもなく見せた、人懐っこい笑顔に毒気を抜かれるようだった。なまえの脳内で〝見知らぬ少年(イケメンだけど、多分不良)〟と言うレッテルが書き換えられ、〝親切な少年(しかもイケメン!)〟となる。
その所為か、気が付けば彼女は首を縦に振っていた。
*****
その日裕次郎は暇を持て余していた。
部活動は顧問の事情により昼前に終了してしまい、普段行動を共にしている部員達もさっさと帰ってしまったのだ。折角の週末、時間があるのだからまだ家には帰りたくない。けれど一緒に過ごす仲間もいないし、何より腹が減ってきた。と市街地の一角で座り込んでいた時の事だった。
「お、お姉さん達と、ちょっと遊ばない?」
見知らぬ少女に声をかけられたのだ。
第一印象は「ぬーがやくぬ女」だった。言葉遣いからして内地の女らしいが、声をかけてきたのは向こうなのにやたらと怯えている。しかも自分ひとりを〝姉さん達〟と称して怪しい事この上ない。けれど様子をうかがって察するに、どうやら彼女は友人に遊ばれたようだった。途方に暮れている姿はなんだか面白そうだと裕次郎に思わせた。
何して良いか迷ってたとこやっし、ちょうどいいさー。
「遊びに行かねーんか?」
結局、最後は裕次郎の方が彼女を誘う形となってしまった。
初対面の少女を引き連れて裕次郎がさっそく向かったのは、通り沿いのバーガー店だった。彼のお気に入りチェーン店だ。空腹の時にまず思い浮かぶのがここなのだけれど、少女にとっては初めての来店らしい。目新しそうにメニューを読んであれもこれもと吟味しているので、「これがいっぺーまーさんよ」と教えると、頭にはてなを浮かべながらも素直にそれを購入していた。
「やー、内地から来たんに?」
「内地……?」
適当に席を見付けてハンバーガーを頬張る。ずっと黙っているのも難なので、会話は裕次郎の方から切り出した。なのに彼の言葉を聞いても少女はただ首を傾げるばかりだ。しばらく思案した後、だからさっきも困った顔をしていたのか、と頭の片隅で納得して戸惑うように彼は目線を泳がせた。
「あーーっと、……どこから来た?」
そして慎重に言葉を選んで聞き直す。テレビで見聞きする本土の言葉を知らないはずがないのに、意識して切り替えるとなるとなんだか気恥ずかしかった。対して少女はぱっと顔を明るくして出身地を答える。その地の名前くらいなら聞いた事があったが、裕次郎は日本地図を思い浮かべてもどこにあるのか指差す事が出来ない。
「なら飛行機で来たんさーね?」
「そうなの。たった2時間で着いちゃったんだよ」
遊園地行くより近いよね。と続ける少女は無邪気な顔でバーガーを頬張る。横からレタスが飛び出していて、今にも落ちそうだ。裕次郎の視線に気が付いたのか否か、彼女は小さな舌でぺろりとレタスをすくった。そして飲み込んだ後「あ、」と何か思い付いたように声を上げる。
「そういえば、名前聞いてなかったね。私はみょうじなまえ、きみは?」
「わんぬ名前は甲斐裕次郎だばーよ」
「甲斐くんね。それで、甲斐くんはどこへ連れて行ってくれるのかな?」
戸惑いながら裕次郎に声をかけた時とも、にこにことハンバーガーにかぶりつく時とも違う、どこか揶揄うような仕草でなまえは首を傾げた。こんな短時間で様々な面を見せる彼女が、裕次郎には不思議だった。クラスの女子とはどことなく違う雰囲気……歳だって同じくらいだろうに、これが本土の人間という事なのか。
なまえは続ける。
「折角来たんだから観光したいな。あ、首里城とか!」
「くぬ時間から首里城は止めろって」
なまえの提案に裕次郎は首を振った。太陽が高い位置にある時間から首里城公園になんて出かけては暑さでやられてしまうし、中途半端に時間が余るだろう。けれど彼の反応はなまえにとって不満だったようで、ならばどうしろとでも言わんばかりにむっとする。そんな彼女に向かって裕次郎は不適に笑った。
「わんに任ちょーけ」
そして大好物を平らげると、なまえを連れて店を出たのだった。
*****
「そのバス待ったーッ!」
裕次郎は走りながら叫んだ。置いて行かれない様なまえもラストスパートをかけて、2人は発車間際のバスに飛び乗る。
背後で扉が閉まる。バス中の視線が刺さるのが気まずくて身を縮めていると目が合った。思わず互いに吹き出して、笑いを殺しながら空席に座る。
窓から街を見下ろせば、独特の雰囲気にあふれる町並みが早送りで通り過ぎて行った。あ、さっきここ入った。あのお店は知らないな。となまえが見ていると、すぐ横を日に焼けた腕が通り過ぎる。海の匂いが鼻をかすめた。
「あぬ店は永四朗のお気に入りだから、行かん方がいーさ。……ゴーヤぁ売ってるし」
ごつごつした指が窓に触れ、通り過ぎる店のひとつを指し示す。座席が狭いからか、予想以上に2人の距離は近かった。
「えーしろー?」
「わんの幼馴染みで、テニス部の部長やっさ」
「甲斐くんもテニス部なの?」
「であるよ。やーは部活やってるかや?」
「してないよー。受験生だもん」
「やーも3年か」
わんと同じやし、と彼はからから笑う。沖縄特有のイントネーションにも耳が慣れてきて心地良かった。最初は何を言っているか分からなかった言い回しも、話している内になんとなく分かるようになってきたのも嬉しい。
ひょんな事から行動を共にする事になってしまった2人だったけれど、ここ数時間で随分と打ち解けたとなまえは実感していた。甲斐裕次郎と名乗る彼のおすすめのバーガー店で昼食を採った後は、これまた彼のおすすめスポットで買い物をしたり。現地の若者が訪れる場所を回った所為か、異国情緒あふれる沖縄が随分と身近に感じられるのも彼のおかげだろう。
「そう言いつつ、友達と沖縄まで遊びに来るのは良いんか?」
「修学旅行だもの」
「くぬ時期にば?」
内地の学校は変わっちゅーさ。と裕次郎は続けた。ゴールデンウィークもずっと前に明け、今は6月の頭だ。高校の修学旅行は学校によって時期が違うのだから、そこまで驚かなくても良いではないか。沖縄では事情が違うのだろうかとなまえは疑問だったが、細かい事は良いかと思い直す。
がたん、バスが揺れる。会話がなくなって代わりに横目で裕次郎を見たら、ちょうど帽子に手をかけるところだった。つばを持って顔を扇ぐと、茶色い髪がふわふわと揺れる。こめかみに汗が滲む様はまさに夏男という具合で、なんて絵になるんだろうとなまえは息を呑んだ。盗み見だなんて悪い事をしているようで、誰に取り繕うでもなく「外、暑かったね」と口にする。裕次郎は短く相づちを打った。
「……次はどこへ連れて行ってくれるの?」
なるべく沈黙を作らないようになまえは意識していた。でないとまた、彼を盗み見てしまう。
裕次郎の行動は突然だった。バスに乗る直前までは国際通りでウィンドウショッピングに勤しんでいて、なまえは小さなシーサーの置物を買おうか悩んでいるところだったのだ。「なんでそんなモンが欲しいかじゅんに分からん」と彼は難しい顔をしていたのだが、ふと腕時計を見て突然走り出したのだった。訳も分からず付いて行ったので、今乗っているバスの目的地なんて確認出来なかった。
「すぐに分かるさー」
頭にハテナ浮かべるなまえを他所に裕次郎は悪戯っぽく笑う。同時に停車を知らせるブザーが鳴り、アナウンスの声が響いた。
『次はー首里城前ー首里城前ー』
*****
首里城公園は広いけど混むってから、昼よりも夕方が良いさー。
裕次郎の言った通り、首里城周辺の混み具合はピークを過ぎているようだった。未だ観光客はいるけれどストレスになるほどではない。それに日が傾いてきたからか、ゆるやかに吹く風も気持ち良かった。
2人は守礼門をくぐって無料区域の散策を終え、広福門で入場券を買うところだった。短い列はあっという間に2人を先頭に押し出して、裕次郎は受付に向かって指を2本立てる。
「中学生2枚」
「学生証の提示をお願いします」
当たり前のように裕次郎が比嘉中の生徒手帳を取り出す横で、なまえは素っ頓狂な声を上げた。ぬーがや? といぶかしんで彼女を見る。手にあるカード式の学生証を覗き込むと、指で校名が隠れてはいるが〝高等学校〟という文字はしっかりと見えた。思わず裕次郎の声も裏返る。
「し、しんけん高校生だばぁ!?」
「え、だって、おんなじ3年って……中3!?」
頭半個分下にあるその顔立ちからは、3つも年上である事なんてうかがえないけれど……。裕次郎は戸惑うと同時に妙に納得してしまった。クラスの女子と雰囲気が違って当たり前だ、なんせ年上なのだから。
「……で、中学生なの? 高校生なの?」
2人の驚きを他所に、発券所の女性はいらついた様子で問いかけてきた。視界の端に映る列もいつの間にか長くなっていて、なまえはあわてて「1枚ずつお願いします」と答える。裕次郎が固まっている間に彼女は入場券を2枚手にし、受付に促されるまま2人は奉神門をくぐった。
鮮やかな朱色の門をくぐり抜けた先にあるのは、裕次郎にとっては何の変哲もない、ただただ豪華で大きいだけの正殿だった。そもそもこの場所には遠足や社会科見学、果ては家族との小旅行などで何度も訪れている。けれどそんな見慣れた場所もいつもと違って見えるのは橙色に染まり始めた空の所為か、それとも隣ではしゃぐ少女の所為なのか。
「すごーい! 赤い! 広い!」
写真を撮っては黄色い声を上げるなまえは、こちらが苦笑してしまうほどこの場を楽しんでいた。そんな姿を見ていると、彼女が年上だなんて信じられない。
「はしゃぎ過ぎやし」
「そんな事ないよ。だってとっても綺麗だよ!」
地元の目玉を褒められて悪い気はしない。けれどなんだか照れくさくて、つい「こんなんデカいだけばーよ」と斜に構えてしまった。
「そうだね。大きいね」
なのに帰ってきたのは素直な相づちで。ふふ、と微笑まれてくすぐったくて、裕次郎は誤摩化すように帽子のつばを触る。
「あのね、甲斐くん」
改めて名前を呼ばれる。短く返して顔を上げると、なまえは目の前だった。
「今日は本当にありがとう。甲斐くんのおかげで、すごく楽しかった」
沈みかかった太陽がなまえの顔を染める。彼女の表情はやっぱり、今まで見せてくれたどんなものとも違った。幼さと大人っぽさが入り交じる笑顔は1枚の写真のように裕次郎の中に焼き付いて離れない。
ふと名前が呼びたくなって、そういえば一度も呼んでいないと気付いた。なまえと呼べる程の仲でもないし、みょうじさんはむずがゆい。数秒悩んだ末、今まで通り「やー」とだけ口に出すと、被さるように短い電子音が鳴った。
*****
燃えるような門の先にあったのは、朱色と白のコントラストが見事な広場だった。その見事な光景になまえははしゃぎまわる。けれど本当に感動する自分がいる中で、どこか放心する自分がいる事も彼女は自覚していた。理由は明白だ。
『し、しんけん高校生だばぁ!?』
『え、だって、おんなじ3年って……中3!?』
今日1日を共にした少年が、自分よりもずっと年下だったからだ。
背も大きくて、話し方もクラスの男子とそんなに変わらなくて……男の子にしては声が高いなとは思ってたけど、中学生? 嘘でしょ……。
何よりもなまえは中学生を逆ナンしてしまったと罪の意識に苛まれていた。しかもかっこいいなと始終意識して、彼の一挙一動に心を揺り動かされていたのだ。なまえは心中、壊れたビデオのように今日の出来事を再生しては「やってしまったー!」と身悶えしていた。
過ぎてしまった事は取り返せないのだから仕方がないと思えば思う程、その気持ちはなまえの心をチクチクと見えない針で刺し続ける。だからこそ、この罪悪感をかき消すようになまえは跳ね回っていた。
そして唐突に思い至る。
そうだ、今更謝ってもおかしいし、せめて彼にお礼を言おう。
決意して、実際言葉にしたすぐ後の事だった。
〝ピロン〟
なまえの携帯電話が鳴ったのだ。反射的に確認するとそれは友人からのメッセージで、真っ白な砂浜ではしゃぐ彼女らの画像まで添付されている。
『いえーい! なまえも楽しんでる〜?』
罪悪感が嘘のように引くのを感じた。代わりに湧き上がるのは友人への怒りだ。電話を持つ手が震える。思わず手に持っている物を裕次郎の顔に突きつけた。
「ちょっとこれ見てよ甲斐くん!」
「ぬーがや?」
一瞬驚き身体を仰け反らせる彼だったが、表示されているものを見てすぐニヤリとした。そしてあろう事かなまえの手から電話を取り上げたのだ。
「どうせなら、わったーも見せつけるさー」
勝手知ったる電子機器と言う様子で素早く操作すると、なまえの肩を抱いて携帯をこちらに向ける。頬を撫でる髪から太陽の香りがして、心臓が鼓動を高める前にシャッターは切られていた。
「えっ、私すっごくアホ面だったんだけど……!」
「はは! もう送っちまったばぁよ」
嘘でしょ!? とひったくるように電話を返してもらう。するとそこには確かに送信済みの文字があり、更にはなまえの目の前で“既読”の文字まで付いてしまったのだった。