明確なプラ桜表現があります。苦手な方はご注意ください。
熱に浮かされたような意識の中、unknown。
リョーマがなまえと喧嘩してから丸一日以上の時間が経った日曜の夜。あとはもう寝るだけという時間帯に、リョーマは自室でゲームをつけては集中できずに消し、消しては気が紛れなくてつけるという行為を繰り返していた。
頭にちらついて離れないのは、涙を流しながら怒りの感情を向けてくるなまえの姿……あんななまえ、初めて見た。リョーマの中でなまえはいつも楽しそうに本の話をするか、顔を赤らめて自分の失言をつくろうような、そんな人物だ。彼女の初めて見る怒りの感情が自分に向けれたものになるだなんて、リョーマは今まで想像すらしていなかったのだ。
でも、なまえだって意地悪だ。とリョーマは内心ひとりごちる。
誰にだって馬鹿みたいにお人好しで優しいくせに、それを自分に向けてはくれない。リョーマといる時のなまえは恥ずかしいと言って逃げるか、理由を見つけてこちらをからかってくるかのどちらかだ。全然優しくない。
なまえがあの場にいた経緯なんて簡単に想像できる。どうせまた、誰かが困っているところを安請け合いしたのだろう。でもなんでよりによって男テニなんだ。目の前で自分の彼女が別の男に甲斐甲斐しく世話を焼くのを見るなんて、地獄だった。
付き合う前も、今も、嫉妬してる回数なんて考えたらキリがない。自分の知らないなまえがいるなんて耐えられないし、本当は1分1秒だって青学に――自分の隣にいて、自分だけを見ていて欲しいのに。
そんな事を考えていたら、いつの間にかゲーム画面には3回目の『ゲームオーバー』の字が舞っていた。
「……んだよ、もう」
盛大に溜息をついてゲーム機の電源を落とす。今度こそやる気が削げてしまった。仕方がないのでもう寝ることにする。
こんな心情の中でも意外と眠気は来るものなんだなと、うつらうつらしていた時の事だった。枕元に置いたスマホの着信音が鳴ったのだ。無理やり覚醒させられた不愉快さで思わず顔をしかめ、スマホを押して着信を切る。
ようやく静かになったと思っていたら、1分もしない内に再び着信が入った。舌打ちをしてもう一度切る。画面を見てはいないが、こんな時間にこんな頻度でかけてくる人物は碌な奴ではないとリョーマは経験上知っていた。
しかし三度目の着信は二度目よりも早く鳴り始めた。一旦無視してみるが電話の向こう側の人物はいつまで経っても諦める様子がない。元々良くなかったリョーマの機嫌は更に悪くなっていたが着信があまりにもしつこく、仕方がないので通話ボタンを押した。
「なぜ切るのだルシャポウ、不敬であるぞ!」
スピーカーモードかと思うほどの大音声に顔を顰める。スマホを耳に近づけていなくて良かったと安堵した。
「……今何時だと思ってんの?」
「パリは16時だが?」
不機嫌を隠そうともしないリョーマの声色にも相手は物怖じしない。そういう事じゃなくて、と反論しそうになるが余計長くなりそうなのでやめた。
それはフランスにいるプランスからの着信だった。数年前のテニスW杯で知り合ってからというもの、リョーマとプランスは時々通話する中だ。と言うより、向こうが何かにつけて連絡してくるのだけれど。
「で、なんか用?」
「今日本で流行っているデートスポットを教えろ。セリシールと会う時の参考にする」
そして、電話の内容は毎回似たようなもので。セリシール――竜崎からの手紙の返信が遅いから何かあったのかとか、先日竜崎に贈ったプレゼントの感想を聞いてはいないかだとか、大体が彼女に関する事なのだ。そして今回もサマーバケーションで日本を訪れる約束をしているから、今からデートのプランを考えたいという事だった。
「俺が流行りとか知ってると思う?」
けれど元々世間での流行をあまり気にしないリョーマにとって、プランスの質問に答えるのはあまりにも非適任で。
「何を言っている、お前も愛しのレディーと出かけたりするのだろう?」
「なっ!?」
「セリシールから聞いたぞ、『ルシャボウの恋人と友人関係になった』とな。今度日本を訪れたら俺も彼女に挨拶せねばなるまい」
プランスの言葉にリョーマは項垂れずにはいられなかった。デートのアドバイスなんて今までさせられた事なかったのに何かと思えば、いつの間に情報が漏れていたとは。
「お前は彼女とどこへ行くのだ?」
「別に……ただ映画を見たり、買い物したりするくらいだよ」
「ふむ、今までは観光名所がメインだったが、現地の庶民が行くような場所へ足を運ぶのも良いかもしれないな」
彼のデートの計画を聞いていると、自ずと自分となまえのデートを思い出す。そして引きずられるように頭の中に浮かんでくるのはなまえの泣き顔だった。
「……プランスは、竜崎怒らせた事ある?」
溢れた言葉にリョーマは自分でも驚いていた。
「あるわけないだろう、レディーを怒らせるなど男失格だ。……と、言いたいところだが、残念ながら一度だけある」
間髪入れずに返答したプランスだったが、付け加えられた言葉はリョーマが予想だにしないものだった。意外に思っている内にプランスは続ける。なんでも去年日本を訪れた際、風に煽られた桜乃の帽子を取り返そうとして無茶をし、大した事ないながらも怪我をしたとの事だった。その日は一日中竜崎の機嫌を直そうと手を尽くしたのだが受け入れられず、遂には『身を挺して彼女の持ち物を守ったにも関わらず』とプランスも不機嫌になり雰囲気が悪くなってしまったのだと言う。
「後になってセリシールは俺を心配してくれたのだと気付いた。なのに俺は取り繕うばかりで、その事実を蔑ろにしたのだ。だから飛行機をキャンセルし、すぐに謝りに行ったさ。ルシャボウも愛しい人の前では余計なプライドを捨て、素直な気持ちを伝えねばならんぞ」
プランスの話を黙って聞いていたリョーマだったが、最後の一言に眉をひそめた。今、アドバイスをもらった気がしたのだが、気のせいだろうか。
「どうせ彼女と喧嘩でもしたのだろう」
しかし、
「は!? なんでその事、」
「図星だったか! お前が俺に質問を返すなんて今までなかったからな」
景気の笑い声が受話器越しに聞こえる。見透かされていた事実にリョーマは居心地の悪さを覚えた。
「もう切るから」
「ああ、良い夢を見るが良い」
そう言ってプランスとの通話はあっけなく終了した。
あれだけとぼけていたくせに、こっちは夜遅くの時間帯だと分かっていたのかと思うとどっと疲れが押し寄せてくる。リョーマは改めてスマホを枕元に置き、布団を被り直した。
そんな事があって、昨夜は微妙に夜更かしをしてしまったからだろうか。
目が覚めた時、予定時刻よりも随分と遅い事をリョーマは一瞬で察知した。咄嗟に枕元のスマホを掴む。今朝はアラームを聞いた気がしない……確認してみるとやっぱりアラームはオフになっていた。
リョーマは慌てて支度をし家を出る。いつもなら青春台の駅に向かい、なまえの最寄駅に向かうのだけれど……今日はこのまままっすぐ学校に向かわなければ、朝練に完全に遅刻してしまう。なまえが一人ホームでリョーマを待っているかもしれないと一瞬胸が痛んだが、そもそもいつもなら今頃は彼女も氷帝に向かっている頃だろう。
きっと大丈夫なはずだとリョーマは自分に言い聞かせ、駅とは逆方向に向かったのだった。
*****
そして、放課後。
いつも通り部活を終わらせ、リョーマはなまえとの待ち合わせ場所に向かっていた。
足取りは重かった。あんな喧嘩をした後に今朝の待ち合わせまですっぽかしてしまったのだから、当然だ。
だから校門を出て大通りに差し掛かった時、交差点の向こう側のバス停で竜崎と一緒に座るなまえの姿を見て、酷く安心した。
信号が変わる。バス停に向かう足が少しずつ早くなる。最初に竜崎と目が合って、なまえがこちらを向いて、小走りで駆けて来る。
「「ごめん!」」
気が付いたら頭を下げていた。
――……。
そして今、リョーマはなまえの部屋でひとり、所在なく座り込んでいる。
家に上がらないかと誘ってきたのは彼女の方だった。誰もいないからなんて言われ、今度は別の意味でなまえを傷付けてしまわないようにと決意してその誘いに乗った。なまえはキッチンから何か持って来ると言って部屋を出たきりまだ戻ってきていない。
部屋の中は綺麗に片付いていて、一角にある仰々しい本棚と程よく置かれた女子の部屋っぽい小物のバランスがなまえらしさを表していた。ベッドの上にはリョーマがゲームセンターで取った猫のぬいぐるみが我が物顔で横たわっている。あの日の事を思い出して口角が上がりかけ、なまえはこいつと一緒に寝ているのだろうかと思い直して心がざらりと砂を噛んだ。嫉妬だ、と自分の感情を自覚して戸惑う。ぬいぐるみにすら嫉妬するなんて自分が自分じゃないみたいで、こんなにも誰かに執着するなんて、付き合う前は想像すらしていなかったのに。
なまえがお盆に乗った麦茶とお菓子を持って戻って来て、話をして、わだかまりが解けて。自身の腕の中に収まるなまえの姿を見ていたら、ようやく緊張の糸が解けてリョーマの中に悪戯心が湧いた。
「大好きなんでしょ、俺のこと。ならもう少しこのままで良いじゃん」
「す、好き、だけど、今ってそういう話?」
「そう言う話。大好きじゃなきゃ俺が困る」
「でも、顔拭きたいし、一瞬だけ。ね?」
「あ、逃げんな」
何をどうしたのか分からない内に、気が付いたら床に寝転がるなまえを見下ろしていた。さっきまで泣いていたからか、艶っぽく蒸気した視線とぶつかる。
キスしたい。
唐突にそう思った。だってもうずっとしていない。でも……感情に任せてなまえを傷つけたばかりなのに、また制御できなくなってしまったらと思うと身体が動かなかった。
「……越前くん」
蚊の鳴くような声で呼ばれたのは、そんな時だった。
久しぶりの苗字呼びに一瞬戸惑う。どちらかと言うと距離を感じる呼ばれ方に、やっぱり嫌がっているのだろうかと眉を寄せかけた瞬間、リョーマは以前の自分の言葉を思い出した。
〝「これから越前くんって呼ばれる度にキスするから。どっちが恥ずかしいかはなまえが考えて」〟
なまえがゆっくりと目を閉じる。身体が熱を持ったように熱くなって、自分の鼓動が耳元でうるさかった。乾きかけた涙の跡を指でなぞって唇を合わせると、なまえの腕がゆっくりとリョーマの学ランを掴んだ。
正解だったと安堵すると同時に今まで抱えて来た嫉妬や戸惑い、満足になまえに触れられなかった鬱憤が堰を切ったようにリョーマを動かした。初めは唇で甘噛みするようだったキスも、何度も角度を変えて吸い付く内に深くなり、気が付けば舌を差し入れていた。逃げるように動き回るなまえの舌を自分のそれで捕まえて、絡めて逃がさない。
途中なまえが苦しがるような素振りを見せ、リョーマは慌てて身体を起こした。近付きたい気持ちが強すぎて、どうやらなまえに体重をかけていたようだ。
気が付けば、二人とも肩で息をしている。
「なまえ、大丈夫?」
「うん、平気。……越前くん」
またそれ、ずるい。
声には出来ずに、再びキスを降らせる。また近付きたい気持ちが強くなる。なまえがまた苦しくなるのは分かってるのに、どうしよう。止まらない。好きだ、好きなんだ。もう少しこのままでいれば、こんなに近いのにまだ足りないと感じるこの思いが何なのか分かるのだろうか――
階下で扉の開く音がしたのはその時だった。
「ただいまー、なまえ帰ってるのー?」
頭の中が一気にクリアになって、跳ねるようになまえから距離を取る。
「か、帰ってるよー!」
ちょっと行ってくる、と部屋を出て行くなまえを無言で見送る。階段を降りる音がした後に母親と話すなまえの声が微かに聞こえてくるのを、リョーマはうずくまって聞いていた。
向こうは『未だに名前で呼ぶ練習してるくらい、リョーマの事大好き』って言ってたくせに、それすら利用してくるなんて。
「あー、もう…………絶対俺のが大好きじゃん、アンタのこと」
今なら恥ずかしいと言って逃げていたなまえの気持ちが分かる気がするリョーマだった。