あくるひ、女王さまがみたのは
――朝
小鳥のさえずりを聞きながらエルサは目を覚ました。ベッド横のカーテンを開けて朝日を身体いっぱいに浴びる。アレンデールは今日も夏らしい、良い天気だった。エルサは大きな伸びを1度してからいそいそと着替えだした。早くしないと、朝食の頃には〝彼〟は中庭からいなくなってしまうだろう。このところ朝の時間に中庭へ赴き、かの賓客と話をするのが彼女の日課になっていた。
女王と言う立場上、彼女には妹以外の話し相手は少ない――否、いないと言っても過言ではないだろう。周りは召使ばかりだし、アナと違って気軽に町へ遊びに行く訳にもいかない。先日の通り、国民にとって彼女は敬いこそすれ気安く話しかけるような者ではないのだ。かと言って手当たり次第に戴冠式のようなパーティを開き、対等な身分の者を集める訳にもいかない。
そんな訳で気安く話しかける事が出来て、博識なのに思いがけないところで笑わせてくれる。しかも1人だからお金もかからないと言う立場にいるなまえは、エルサの最高の話し相手だった。
落ち着いた色合いのドレスに、髪はひとつにまとめる。鏡で全身を隈なくチェックして、エルサは部屋を後にした。足取りも軽い。本人は気が付いていなかったが、その姿は少女そのものだった。
*****
中庭へ向かう途中、螺旋階段を真ん中まで下りた時の事だった。
〝螺旋〟と銘打ってはいるがこの階段は広く、3階から始まって途中で2階に進む事ができる。その奥、窓の向こうから迫り出したバルコニーになまえがいたのだ。こちらには背を向けて外の景色を見ているようだった。2階には彼に与えた客室があるので別段珍しくもないし、折角なのでエルサはここで話しかける事にした。あそこから見える景色も格別だから、今日はそこで話すのも良い。
2階の廊下を抜けて、彼に声をかけようとした時だった。
「――君には失礼な事をしたと思っている。すまない」
彼の声が聞こえて、窓の前で思わず足を止める。誰かと会話中だったのか。ならば終わるまで邪魔をしてはいけないだろう。
「あら、今日は随分と素直なのね」
するとなんと、彼の話し相手は妹のアナではないか。彼女が強烈に彼の事を批判したあの夜から、2人の仲はお世辞にも良いとは言えなかった。それを謝る為とは言え、どうやって会話するまでこじつけたのだろう。
もしや、どちらかがどちらかを誘った?……こんな朝早い時間、ひょっとしてお互いの部屋まで行って――?
「もしかして、姉さんに何か言われた?」
「……ああ。『妹が世話になった』と、からかわれてしまったよ」
エルサの心中を他所に、2人は打って変わって打ち解けていた。嬉しいはずなのに、胸のあたりがざわめく。くすくすと、鈴を転がすようなアナの笑い声は大好きだけど、何故か今は耳障りだった。
「我儘な冷血漢だと思ってたけど、私の勘違いだったみたいね」
「止してくれ。……本当はシャイなだけなんだ」
君の姉さんにも同じ事を言われたよ。と続けるなまえの声が耳に入ってくる。エルサの心臓がドキリと1回、嫌な音を立てて跳ね上がった。彼はあの言葉を、エルサに見せたのと同じ顔をして言っているのだろうか。耳を染めて、照れくさそうに髪に手を突っ込んで――私以外の人の前でも?
「驚いた。貴方ってそんな顔も出来るのね…………って、エルサ!?」
視線を動かした拍子にアナはエルサの姿に気が付いた。朝の挨拶をしてからエルサの手を取ると、彼女をバルコニーへと引っ張り出す。
「今なまえ王子と話していたところなの」
「おはよう、エルサ女王。丁度良い所に来た。昨日の話の続きがしたかったんだ」
誰の目で見ても柔らかな表情を、なまえは浮かべていた。それ位、妹との会話が楽しかったのだろうと思うと、再び胸の辺りが重たくなる。
「……いいえ」
気が付けば、エルサの口は勝手に動いていた。
「急ぎの仕事があるの。悪いけど、今日は失礼させて頂きます」
それだけ言って踵を返す。その声は彼女自身も驚いてしまう程冷たかった。
「あ、待ってよ姉さん!」
アナが慌てて追いかけてくる。右後ろから顔を覗き込まれたと思ったら、すぐに左側に回られた。チラチラと動く妹の姿を見たら負けな気がして、エルサの視線は動かない。
「さっきの話、聞いてたの?」
「……」
「……もしかして、妬いた?」
「ちがっ……!」
カッとなってアナの方を振り返る。その様子が何より図星である事は、彼女には知る由もなかった。
「ビンゴ!」
そんな姉を見るアナは随分と楽しそうだ。悪びれもしない様子に毒気を抜かれて、エルサも冷静になってくる。険悪だった2人の仲が良くなるのは良い事ではないか。自分が何に感情を高ぶらせていたのか、今となっては全く分からなかった。
「彼は関係ないわ」
もう1度、今度はしっかりとアナの言葉を否定する。けれどもエルサの言葉をすっかり無視した彼女は、にやにやとしながら言葉を続けるだけだった。
「心配しなくても、彼ったら姉さんの話しかしてなかったわ」
「……本当に?」
あら、彼は関係ないんじゃなかったの? と言う言葉を飲み込んで、アナは何度も頷く。エルサの大きな瞳には驚きと、少しの期待が入り混じっていた。笑ってしまう程分かり易くて、こちらまでときめいてしまう程いじらしい。
「ええ! 2言目には『君の姉さんもそれが好きなようだな』とか、『君の姉さんもそう言っていた』とか。聞いてる私の方がお腹いっぱいになっちゃった」
大変な事をしてしまったわと、先ほどの彼に対する罪悪感が心臓の辺りをくすぐる。けれどもエルサの中の何かが、今来た道を戻って彼に謝る事を阻止していた。
頬に熱が集まって来る。きっと今行っても、まともに顔が見れそうにない。
「……し、」
「し?」
「し、仕事! 仕事をしなくてはいけないわ!」
「あ、ちょっと姉さん! ……もうっ」
アナを振り切って、早足で書斎へと向かう。とりあえずは彼に言ってしまった事を嘘にしてはならないと、エルサはそう決めて、公務以外の事を必死に頭から追いやるのだった。