いっぽうそのころ、おしろでは


 同じ日の夜、エルサは寝間着に着替え、ベッドの上でアナとのおしゃべりに興じていた。離れていた13年を埋めるように2人はこうして夜を過ごす事が多い。

「――それでね、クリストフったらオラフに向かってなんて言ったと思う?」
「なんて言ったの?」
「『その人参は君には大き過ぎる。こっちの小さなやつと交換してやろう』って」

 声を低くし似ているつもりであろう物まねをした後、アナは「もうおかしくって」と続けた。エルサも同じように笑う。話の内容よりも、大げさに話す妹の姿が見ていて楽しかった。
 ひとしきり声を上げてからアナは時計に目をやる。時刻は真夜中を指していた。

「あら、もうこんな時間ね。そろそろ部屋に戻らなくちゃ」
「え、ええ……そうね」

 すると途端にエルサの表情が沈む。どうしたのかとアナは眉をひそめた。自分が姉を引き留めるならまだしも、彼女の方が名残惜しそうにする事は滅多にない。

「どうかしたの?」
「いいえ。……ただちょっと、まだ眠れそうになくて」

 物憂げに眼を泳がせる自身の姉を見て、アナはぴんと来てしまった。彼女の心に引っ掛かるモノがあるのだとしたら、やはり今朝の事しかない。

「なまえ王子の事?」

 からかうような笑みを浮かべてアナはエルサの顔を覗き込んだ。慌てたエルサの口からは否定の言葉が出かかったが、それを抑え観念したような溜息をつく。妹の言う事は事実だったからだ。

「彼に失礼な態度をとってしまったわ」

 そうじゃないでしょ、と言いかけてアナは口をつぐんだ。折角姉の態度が軟化したのだ。余計な事を言ってまた拗れさせたくはなかった。その代わり、アナは提案する。

「だったら、今から謝りに行きましょうよ!」
「今から!?」

 驚くエルサを余所に彼女はうなずく。そしてあっという間にクローゼットからナイトガウンを取り出して彼女に押し付けた。

「でも、もうこんな時間よ」
「私達が起きていたんですもの。彼だって起きてるかもしれないじゃない」
「迷惑になってしまうわ」

 尚も食い下がる姉にアナはじれったそうにする。腰に手を当て、「じゃあこうしましょう」と口を開いた。

「とりあえず彼の部屋まで良くの。明かりが漏れていたらノックして、そうでなかったら帰りましょう」
「でも……」
「私も一緒に行くから! ね?」

 しつこく説得を重ねるアナに、エルサは根負けして「分かったわ」と答えた。こうなってしまえば梃子でも我を通そうとするのは幼い頃から変わらなかったし、何より自分はそんな妹に甘いのだ。

「やった! ついでにキッチンにも寄らない? お腹空いちゃったわ」
「……アナ、あなた本当はそれが目当てだったんでしょ」

 非難するように妹を睨むと、彼女はわざとらしく目を逸らしてココアの話を始めた。仕方がないので、エルサは大きく息をつく。

「もう遅いんだから、フルーツにしておいた方が良いわよ」
「はーい」

 そしてランプを灯すと、2人は並んで部屋を出たのだった。

*****

「……そう言えば」

 夜の闇が滲む城の中、アナは口を開いた。

「この間、新しい兵士が入ったでしょ? 彼らの噂を聞いちゃったんだけど……」

 なんでも、この城には夜な夜な低い唸り声を上げる幽霊がいるらしい。その昔魔女の疑いをかけられて、失意の内に死んだ姫君なんだとか。見回りをする兵士が数人、確かに聞いたと言う事だった。

「失礼しちゃうわよね。だって私達、生まれてこの方1度も……」

 その時だった。

 ウオオオォォオォォォ……――

 2人の耳に、地を這うような不気味な声が入ってきたのだ。

「い、いいい、1度も……」

 ぎぎぎぎ、と油が切れたロボットのように2人はゆっくり顔を見合わせた。エルサの目に入ったアナは眉尻を下げ、これでもかと言うほど瞳を大きくして恐怖を露わにしている。きっと自分も同じ顔をしているのだろうとエルサは心のどこか、辛うじて冷静な部分で考えた。ゴクリ。生唾を飲み込んで、エルサは目の前の闇を睨む。

「……見て来るわ」
「駄目よエルサ、何かあったら危険だわ!」

 そう止めた妹を宥めてから、エルサは単身夜の城へと乗り出した。怖がる妹はキッチンへ置いておく。本当はエルサも怖かったけれど、城の中で何か起こっているならばそれを確かめるのが女王の役目だ。

 ウオオオォォオォォォ……――

 暗闇を揺らす雄叫びが再び聞こえた。城の壁が厚いのでその分反響して遠くの音のように聞こえるけれど、どうやら1階ではないようだ。時折聞こえてくるそれに耳を傾けながら歩き続けると、辿り着いた先は客室……つまりなまえの部屋だった。

 ウオオオォォオォォォ……――

 先程よりもずっと大きな声が聞こえる。間違いない。彼の部屋からだ。
 客人に何かあっては大変だとエルサはすぐさま扉をノックする。雄叫びが止まった代わりに返事もなかったので、申し訳ないと思いながらも少しだけ扉を開けて、中を覗いた。真っ暗な部屋に彼女のランプの灯が一筋差し込まれる。目で追うと、部屋の中心にはライオンが優に5匹は入れられそうな強固な檻があり、そして、

――――!?」

 檻の中の赤黒く光る、一対の瞳と目が合った。

 思わず扉を閉めて、急いでキッチンへと戻る。途中、彼の部屋の中で見た物の事を考えた。全貌こそ見えなかったが、あれはまさしく獰猛な怪物の目だった。

*****

「エルサ!……どうだった?」

 城の中を早足で抜け、キッチンに入って後ろ手で扉を閉める。そして厨房でお菓子を物色する妹を見て、初めてまともに息をつけた気がした。

「……2階の窓から風が入り込んで音を立てていたわ。工事が必要みたいね」

 言葉は勝手に口から飛び出していた。彼女の発言を聞いて、アナは目に見えて安堵する。

「良かったぁ。それじゃあ早速彼の所へ行きましょう!」
「それは明日にするわ。疲れてしまったの」
「えー……そう?」

 頬を膨らます妹の背中を押して、エルサはキッチンを出る。まっすぐ階段を上り彼女を自室へ送ると、自分もベッドの中へ潜り込んだ。枕元の光を消す直前、時計を確認する。もう一時だ。目を閉じる。雄叫びは止んでいたが、エルサは眠れそうにもなかった。







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