おしろについた女王さまは


 なまえの国はアレンデールの港から南西へ3日進んだ所にあった。夏らしい穏やかな海の上での航海の後、エルサは港に到着する直前で使者を出して入国の許可を請う。
 しばらくして使者が許可証を持ち帰ると、彼女を乗せた船はようやく彼の国に入港した。

 城に迎えられたエルサは玉座の間に通された。目の前にはなまえの兄という現国王が鎮座している。彼はなまえに似ていると言えなくもないが、その瞳には理知的な光を宿してはおらず、常に上向き気味の鼻が傲慢さを表しているようだった。

「これはこれはエルサ女王、急なご来訪、いささか驚きましたぞ」
「それについては謝りますわ。……なまえ殿下と会わせていただけますかしら?」

 貼り付けたような笑みを浮かべていた国王は一転、嫌悪を隠しもせずに顔を歪めた。そして近くの召使に耳打ちすると、彼自身とエルサ以外の人間が部屋から追い出される。

「……あの役立たずが何か」

 それは疑いようもない負の感情を乗せた声だった。冷え切った兄弟間は予想だにしていなかったもので、エルサは思わず言葉が詰まる。

「役立たずって……!」
「役立たずと言わずして何と言うのです。こっちがわざわざ見合いを取り付けてやったのに、正体が知られたからとノコノコ帰って来よって」

〝正体〟と聞いて、やはりと思ってしまう。あの恐ろしい瞳となまえはどうしても重ならなかったが、国王まで口に出すと言うのならば本当の事なのだろう。

「教えてください。彼は一体、何者なの?」

 強気な視線でエルサは国王を捕える。そんな彼女を一瞥すると、国王はフン、と鼻を鳴らして玉座から立ち上がった。

「良いでしょう。……あれは悪魔ですよ」

 エルサに背を向け、玉座の後ろにあるステンドグラスに目をやりながら、国王は話し始めた。
 昔、この国の王と妃には長い間子供が生まれなかった。どうしても跡継ぎの欲しかった2人は「悪魔の子でも、なんでも良いから子を授かりたい」と毎日祈った。そうして生まれた王子は美しく聡明だったが、ある日突然、夜な夜な人を殺して周る怪物になってしまったのだ。

「怪物では国を治められない。そう思って慌ててこさえた弟が私ですよ」
「え!?」

 エルサは声を上げて驚いた。公式ではなまえは現国王の弟であるはずだし、なまえがエルサと同じ位の齢であるなら、彼はどう見てもその倍は老いて見えるからだ。

「化け物になってから、あれは普通よりもうんと遅く年を取り始めましてね。国民が不審がるといけないから、公けでは兄は事故で死に、私の後に弟が生まれた事になったんですよ」

 至極つまらなさそうに、けれど激しい憎しみを携えたまま国王は続けた。

「適当に言い訳して、さっさと結婚してしまえば良いものを……よほど死にたいらしい」
「っ、どういう事!?」

 もはや女王として失礼のない態度を、と言う心情ではいられなかった。かぶりを振って、エルサは国王を問いただす。なまえが死んでしまうだなんて、想像したくもない。

「あれとの取引でしてね。今回の婚姻が決まらなかったら、あれを国を揺るがす呪われた者として処刑するんですよ」
「そんな……!」
「父王は息子だからと情けで生かしてやっていたみたいだが、私はそんなに甘くない。これでも両親が死んでから今まで生かしてやったんです。充分義理は果たしたでしょう」
「あんまりだわ!」
「では、」

 王は何を思ったのかエルサは前まで近付き、彼女の顔を覗き込んだ。その目にはひとかけらの優しさも感じられない。

「貴女があの化け物を引き取って頂けるのでしたら、喜んで差し出すのですがね。エルサ女王」

 王は続ける。

「猶予を差し上げましょう。あれがこの国に帰って来てから1週間後、つまり3日後までに連れ帰って頂ければ、私は何も言う事はありません。……もっとも、呪いをなんとかしない限り、あれが貴女に着いて行く可能性はないと思いますがね」

 そう告げられたエルサは有無を言わさず玉座の間から連れ出され、城の客室を与えられたのだった。

*****

「今晩真夜中前に城の者が参りますので、どうかご準備を」

 夕食が部屋に運び込まれた時、エルサはこう告げられた。そして今、彼女は宣言通り現れた兵士に連れられて城の地下へと降りる階段を進んでいる。充分下まで降りると木で作られた質素な扉があった。兵士はそこで止まる。

「悪魔は扉を2度くぐれません。何かあれば、部屋を出てください。奴はここまでは追って来れませんから」

 兵士はそれだけ言って扉を開けた。仮にも自分の仕えている王家の者に対してその言い草はどうかと思ったが、エルサは何も言わずに中へ入る。中は天井近くには小さな窓があり、そこから入る月の光以外に明かりはない。

 目が暗闇に慣れた頃、中の様子を見てエルサは息を呑まずにはいられなかった。部屋の端にはたくさんの本が乱雑に積まれ、そのほとんどが破れてめちゃめちゃになっている。中央にはアレンデールでも見た強固な檻があり、中には簡素なベッドが置かれていた。その上でなまえが寝息を立てている。なんと言う事だろう……こんな場所が、彼の部屋だと言うのか。

 すぐさま檻に近付き、入口を探り当てる。鍵が付いていなかったので中には簡単に入る事が出来た。ベッドに腰掛け、彼の顔をそっとうかがう。安らかな寝顔はやはり怪物や化け物ほど遠い。周りを見渡す。足元にはこれまた頑丈そうな鎖が打ち捨てられていた。今はその先に何もないが、アレンデールにいた頃はこれで自らを縛り、夜な夜な耐えていたのだろうか。想像するだけでエルサの心は痛むのだった。

 不意に、真夜中を告げる鐘の音が響いた。ここからは教会が近いのだろう、荘厳な音がよく聞こえる。すると眠っているはずの彼が目を開けた。深い色を湛えているはずのその瞳は、今はルビーのように血塗れている。そして、

 彼が口を開き、天を震えさせる程の雄叫びが飛び出した。

 エルサは思わず後ずさり檻を出る。
 上半身を起こしたなまえは見る見る内に姿を変えた。身の丈は伸び、大きい檻も窮屈になる。肩は隆起しはち切れんばかりの筋肉には血管が浮いて見えた。白かった肌は途端に黒くなり、所々爛れている。かと思うと全身の毛が伸び、爛れた箇所以外を全て覆い隠してしまった。エルサの存在に気が付いて向けられた顔は口が裂け、中から獰猛な牙が剥き出している。

 これが彼だと言うの――!?

 エルサは事態に着いていけず呆然と座り込む。しかし次の瞬間、なまえだった怪物が檻を跳び出し彼女に向けて鋭い爪を振りかざした。

「ひっ!」

 思わず手を前に上げて分厚い氷の壁を作る。彼の爪が当たって鋭い音がした。我に返ったエリサは更に彼の手と足を氷で固め、一目散に部屋を抜け出したのだった。木の扉をしっかりと閉め、そのままずるずると座り込む。氷が割れて彼が再び動き出す気配がしたが、兵士の言う通り彼がこの扉に触れる事はなかった。

「ドコダァ――――!」

「殺ス……モウ何年モ殺シテイナイ……!」


 冥府の底から響いてくるような、絞り出すような声が聞こえる。けれどエルサは足がすくんで動くこともままらなかった。とめどなく溢れる涙をどうする事もできない。事態は思っていたよりも過酷で、恐怖の前に彼女は無力だったのだ。







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