意識の底を漂っていた身体が急に浮上するような感覚と共にリョーマは瞳を開けた。分厚いカーテンの隙間から漏れ入る日光で部屋がうっすら照らされて居る。見慣れぬ部屋の光景に一瞬戸惑ったが、すぐにここは青学の屋敷だったと思い出した。
 身体を起こす。理由もなく周りを見渡すと、枕元のサイドテーブルにメモと小さなハンドベルが置かれていた。どちらも昨夜はなかった物だ。メモに目を通す。

『長旅でお疲れでしょう。目が覚めた時にベルを鳴らしていただければ、すぐに参ります。』

 なまえの字は想像よりも角ばっていた。別にあれこれ予想をしていた訳ではないけれど、昨日の印象からてっきりもう少し子供っぽい字を書くのではないかと思ったのだ。
 何はともあれ、とリョーマはハンドベルを取り上げる。二回ほど左右に振って音を出すと、すぐに部屋の外でぱたぱたと足音が響き、続いて扉がノックされた。返事をすれば、なまえが部屋に入って来る。彼女の手でカーテンが開けられると、先程とは比べ物にならない日差しが部屋に差し込んだ。

「おはようございます、リョーマ坊ちゃん」
「はよ。……今何時?」
「十時を少し回ったところですよ」
「そう」

 聞きながら、部屋の隅に用意された着替え用の衝立に向かう。寝間着を脱いで傍らの机に広げられた服を見やると、パンツにシャツの見慣れた西洋風の物と、もう一着、持って帰った覚えのない長い衣服が置かれていた。

「何コレ」
「どうかされましたか?」
「服が多いんだけど」

 思わず声を上げると衝立の向こう側からなまえが姿を表したので、彼女に向かって両方の服を指し示す。
 なまえは合点がいったとでも云うように両手を打ち付けた。

「和装をされるか洋装をされるか存じ上げなかったので、両方用意致しました。お好きな方をお召し下さいませ」

 なるほど、と見慣れぬ方を広げてみたら、なまえの云う通りそれは和服だった。向こうでも父親がたまの休みに着ていた事を思い出すが、自分は一度も着けた事が無い。仮装をする時に似た好奇心で袖を通してみると、随分丈が長く、釦も無いのでこれ以上は如何したら良いのか分からなくなってしまった。
 再び目線をなまえの方にやる。彼女は右手を口元に宛てて「あらあら」と目を丸くし、何が可笑しいのか広角を上げた。

「旦那様が若い頃お召しになっていた物だったのですが、坊ちゃんにはまだお早かったようですね」

 細めた瞳はまるで小動物でも眺めるような慈愛に満ちており幼子扱いをされているのは明らかで、リョーマの羞恥心を煽る。これは親父の着物だったのか。道理でサイズが合わないはずだ。などと思いつつ、いつか追い付きたいと常々ライバル視している父親に自分はまだまだ届かないのだと言い聞かされているようで癪に触った。

「自分の服着るからもう良い。朝ご飯用意して」

 ふてくされた顔を隠すように背を向け、いつもの洋服を手に取る。なまえは気にする様子でもなく「かしこまりました」とだけ言って衝立の向こうに顔を引っ込め、すぐに部屋を出て行く音がしたのだった。

 着替えを済ませたリョーマが食堂に足を踏み入れる頃には、朝食は既に机の上に用意されてた。スクランブルエッグにサラダ、ベーコンが皿の上に盛り付けられ、籠には数種類のパンが程よく温められて並んでいる。美味しそうだけれど、やはり和食で無い事への残念さは否めなかった。

 食事が終わると、あとはもう自由な時間だった。編入する学校に通い始めるまでまだあとひと月はあるし、入学試験等を受ける事も特に無いから、慌てて何かしら準備する必要も無い。
 かと言って家の中に閉篭もって居てもやる事が無いし、とリョーマは出掛ける支度をして玄関に向かった。掃除をしていたのか、ホールで箒を持ったなまえがそれを目ざとく見つける。

「何か欲しい物でも有りましたか?」
「ちょっと街を見てくる」
「お伴しましょうか?」

 坊ちゃん、この街をひとりで歩かれるのは初めてでしょうし。と続けられて、不安そうな声色と態度が先刻の大きな和服を着て微笑まれた時の物と重なる。また小さな子供の様に扱われたと癪に触り、気付けば「いらない」と返事をしていた。

「もう子供じゃ無いんだし、俺が居たのは自由の国で従者なんてつけて窮屈に出歩く事なんてしなかったから」

 言葉に随分棘が含まれて居る事が自分でも分かる。普段から南次郎や向こうでの学友に「リョーマはただでさえぶっきらぼうで怒って居る様に見えるんだから、注意した方が良いよ」と言われて居たけれど、今はそんな事気にしたく等無かった。
 リョーマの言葉を受けて、なまえは「左様ですか」と相槌を打った。その表情に寂しそうな陰りが一瞬だけ伺えたかと思ったが、彼女はすぐにまた微笑みを作る。

「では人力車をお呼びしましょうね。街までは少しありますから」

 それだけ言ってなまえは電話室に入って行った。
 やがて人力車が屋敷の前に留まり、リョーマだけが乗り込んだ。行ってらっしゃいませと、背中にかけられた声がやはり寂しそうに聞こえたのは、きっとリョーマの気の所為なのだろう。

******

 リョーマの住む屋敷は青学の首都に在るとは言え、中心地からは少し外れた閑静な住宅街の中に在る。なので店が並ぶ街中に行くには人力車で引かれても十数分程かかった。繁華街の街並みはリョーマの知識の中の物よりも随分と西洋化が進んでいて、けれど中に並ぶ店は独特の物が多くリョーマを飽きさせない。

 大通りをきょろきょろと歩いていると、不意に飛び込んできたショウウィンドウの風景にリョーマは思わず息を飲んだ。天鵞絨で飾られた台に乗せられた三本のラケットと黄色い球は、その店がリョーマの何よりも愛するテニスの品を売っている事を明らかに示して居る。そうか。余りにも遠くまで来たものだから当たり前の事を忘れて居たけれど、此の国にもテニスは存在して居るのか。

 高鳴る胸が抑えきれず店の中に足を踏み入れた。幼少の頃から愛用して居るラケットは勿論持って来て居るが、ボール等の他の物は十分に持って居るとは云えないし、何より一ヶ月の船旅で禄に触っていなかったラケットの手入れに必要な物を取り揃えておきたかった。

 暫くして店を出たリョーマの手には膨らんだ大きなテニス鞄が下げられて居た。本当は鞄なら既に持っては居るのだが、思いの外沢山物を買って仕舞ったので入れ物として急遽買い足したのだ。流石大通りに店を構えているだけあって此処は品揃えも良かったし、商品自体の質も申し分無い。良い買い物が出来たと、リョーマは先刻とは比べ物にならない程上機嫌だった。

 それにしても、随分と買い物をして仕舞った。主要な場所は既に見終わった事だし、そろそろ帰路につこうか。リョーマが人力車か、辻待ちのタクシーでも拾おうと考えていた矢先だった。
 今度は百貨店の壁に見覚えのあるポスターが貼って在るのを発見したのだ。『青学初上陸』と謂う大きな文字の下に描かれた絵は他でも無い、リョーマが向こうで気に入って飲んでいた炭酸飲料で。
 テニスに続いて、またしても、まさか巡り会うとは思って居なかった物の為、リョーマが百貨店の中に入る事に迷う筈も無かった。

******

 リョーマが越前邸に戻った時、屋敷はしんと静まりかえっていた。てっきりまた鬱陶しい位に「お帰りなさいませ!」と歓迎されるに違い無いと思っていただけに少し拍子抜けしてから、いやいや、煩いよりは静かな方が良いじゃないかと思い直す。

 何はともあれ買って来た物を預けたいのでなまえを探す事にする。まずは食堂に入ってキッチンへ向かった。昨日屋敷を案内された時には見られなかったけれど、キッチンは其処だけで十分大きな一室になる大きさで、リョーマには使い方も分からない調理器具が並んで居る。真ん中の作業台には何冊か本が広げられており、何気なく紙面に目線を滑らせるとそれはリョーマが居た国のレシピ本だった。自国の言葉で書かれた物が一冊と、英語の物が一冊、傍らには辞書まで置かれて居る。レシピ本には幾つか付箋が付いて居た。

“こちらの本にしか載ってない本場の調理法。燻製肉が必要。お好きかしら?”
“坊ちゃんは牛乳が苦手!”

「……牛乳くらい、飲めるようになったし」

 赤字で大きく書いてある注釈に、訂正の言葉が思わず飛び出す。幼い頃に牛乳が飲めなかったのは認めるけれど、それだって近頃は矯正出来て居るのだ。……まあ、好んで飲みはしないのも、事実だけれど。
 と、此処まで考えてからこんな事をしている場合では無いと我に返った。なまえが居ないのであればリョーマが此処に居る理由等ひとつも無い。もしかしたら屋敷の何処かで掃除でもしているのかも知れないと踵を返してキッチンを後にしようとした所で、部屋の反対側にもうひとつ扉がついている事に気付いた。ノブを捻り中を覗き見ると其処は使用人用の狭い通路になっており、食料庫と洗濯部屋が連なってから突き当たりに螺旋階段が設置されて居る。

 ふと、階段の上から小さな歌声が聞こえた。独特の音程は聞いた事の無い筈なのに何故だか懐かしい気がして、柄にもなく胸が締め付けられる。リョーマは誘われるように廊下を進み、階段に足をかけた。

「“カチューシャ可愛や 別れの辛さ”……」

 螺旋階段の先はやはりまた使用人が使う簡素な廊下だった。表の廊下に比べて少し暗く、三つ並んだ扉の内の、一番階段に近い扉が開け放たれている。どうやら歌声は其処から漏れている様だ。中を覗くと、質素なベッドになまえが腰掛け、何やら布に針と糸を通していた。一定の間隔で針が布を出たり入ったりする様にラリーにも似たものを感じ、思わず見入って仕舞う。

「……“せめて又逢うそれまでは 同じ姿で、ララ居てたもれ”……」

 ぱちん。なまえが歌いながら鋏を手に取り、糸を切る。ふう、と息をひとつ吐いて、ふと手元に落として居た目線を上へ動かした。二人の目線がぶつかるのと、なまえの瞳と口がこれでもかと云う程大きな丸を描くのに大差な時間等無かった。

「ぼ、坊ちゃん!? 痛っ!」

 ぱちんともう一度聞こえて、弾ける様になまえの手から布が離れる。彼女の指には赤い珠がぷっくりと浮かんでおり、鋏で切って仕舞ったであろう事は明らかだった。

「えっと、ダイジョウブ?」

 戸惑いながら聞くと、なまえは指を唇の中に入れた儘答える代わりにひとつ頷く。そして口から指を離すなり慌ててリョーマの元に駆け寄った。

「ど、どうして此処に……いえ、それより、何時の間にお帰りで?」
「たった今帰って来て、アンタが何処にも居なかったから探した。荷物、あったから」
「それは……大変失礼致しました。わたくしったら気付きもせず、こんな所まで来させて仕舞って……!」
「別に」

 やっぱり一々大袈裟に反応するな、と少しの煩わしさを感じつつ、同時に出所の分からない安心感を覚える自分が居る事に困惑して、リョーマは気を逸らす様に「て云うか何してたの?」と尋ねた。するとなまえはまるで悪戯が知られて仕舞った子供のような顔でベッドの側まで戻り、先程まで弄って居た布を持ち上げる。

「旦那様のお召し物を坊ちゃんに合う様に繕っていたのです」

 今朝は大変申し訳ありませんでした。わたくしの準備不足でしたわ。となまえは深々と頭を下げた。しかし直ぐに「あらいけない」と呟き着物を再びベッドの上に置く。

「血が付いてしまうわ」

 独り言のように囁く彼女の指は未だにじわじわと赤く染まって居て、一見してその傷が小さい物で無い事が分かった。けれどなまえは特に痛がる様子も無く、部屋の隅にある棚から絆創膏を取り出して指に巻きつける。絆創膏の真ん中にジワリと赤い模様が現れて、何故だかキッチンで見た付箋の赤文字を思い出した。

「さて、お待たせ致しました。さあ、坊ちゃんの荷物を預かりましょうね」

 なまえが再びリョーマの目前に立ち、両手を広げて荷物を受け取る体制を取る。しかしリョーマが鞄を渡す事は無く、なまえは不思議そうに首を傾げた。

「……なんで?」

 代わりにリョーマの口から漏れたのは唸る様な疑問符だった。リョーマは自分でも訳が分からない程に苛立って居たのだ。元々感情の起伏も激しい方では無かったのに、どうして、彼女の何でも無い行動や言葉に心が毛羽立ってしまうのだろう。

「その着物とか、キッチンにあった本とか、なんで俺の為に其処まで出来るんだよ。指だって、俺の所為で切ったのに、如何でも良いみたいな顔して、俺の事ばかり気にかけて。俺、アンタにかなり嫌な態度を取ってたと思うんだけど」

 苛立ちで整理できないまま浮かんで来た感情は、粒の様に固まって言葉に繋ぎ合わせる事が難しい。ひとつ声に出す度に、苛立ちが弾けて捉えどころの無いものに変わって行った。
 一方なまえはぱちくりと瞬きをした後、もう何度も見た様にふわりと笑って、少し屈んでリョーマを見上げる高さで目線を合わせる。

「リョーマ坊ちゃんに会えたのが嬉しくて、何でもして差し上げたくなって仕舞うだけですよ」
「だから……っ! 主人って言ったって、仕事の関係デショ? 会ったばかりの俺の事なんて、最低限の事だけしてれば良いじゃん」

 リョーマが居た国は青学より更に民主主義が進んで居て、家主と使用人と謂う関係は最早存在せず、あくまで家事の為の従業員を雇うと謂う形態だった。特に越前家ではなまえの父親の様に家の指揮を取り、かつ南次郎の仕事を手伝う為の極々限られた専属の使用人は居たが、それを除けば全員が現地で労働時間を決めて雇った者達の為、リョーマの事だけを考え、彼の世話だけを甲斐甲斐しくする者と謂うのは初めから存在しなかったのだ。

 母親も居たし幼少期から友達にも恵まれて居たから、寂しいと思った事は無い。寧ろそれが普通だったから、今の生活の方が違和感を感じると言うのが本音だった。だから享受して良いのか、もう子供じゃ無いのだからと距離を置けば良いのか、全然分からない。

「会ったばかりではありません、よ」

 なまえは言葉尻を濁す。何か続けたそうにして居るのに何も言わないから、リョーマは不思議に思って、それからすぐにひらめいた。そうか、昨日「昔の話をするな」と言ったから。何でもぺらぺらと話しかけてくるなまえが口を濁すなんて、それしか無い。

「別に、話したかったら昔の話しても良い」

 そうする事でしか、話が進まないのなら。
 するとなまえはおずおずと口を開いた。

「着いて来ていただけますか?」

 リョーマがひとつ頷くと、なまえは脇を通って部屋を出た。彼女が歩くまま後ろに続く。廊下の中程にあった扉を開くと、其処から二階の表廊下に出る事ができた。
 二人はそのまま連れ立ってリョーマが自室として使っている部屋……ではなく、その隣の部屋に入った。中の家具は使われていないのか清潔な布で覆われており、めくってみると幼児用の小さなベッドやソファだった。壁際の棚にはおもちゃが所狭しと並んでいる。

「此処は?」
「坊ちゃんが元々使っていたお部屋に御座います。動かしてはならないと思ったので、今のお部屋は別にご用意したのです」

 なまえは壁にかけられた額縁の前に立っていた。隣に並んで見ると額縁に飾られている写真では、幼児が生意気そうな目線を此方に投げかけて居る。聞かずともその少年が幼い頃の自分と謂う事が分かって、何だか居た堪れなくて、腹の底がむず痒い。

「この部屋を掃除しながら、『ああ、今頃リョーマ坊ちゃんはどれだけ大きく御成りだろう』とよく考えたものです。……坊ちゃんは嫌だと思うかもしれませんけれど、幼かったあの頃と今も、何も変わないお優しい方ですよ」
「……これで?」

 写真を指差し、疑わしげに尋ねる。自分で言うのも何だが、随分と小憎たらしい顔をして居るではないかと思った。性格も今とそう変わらないだろうし、何を考えて居るのか分からなさそうだ。
 リョーマの言いたい事が伝わったのか、なまえはくすくすと笑った。

「ええ、少しだけ恥ずかしがり屋で、負けず嫌いで、とってもお優しい……昔の儘です」

 自分でも認めたく無い部分をぴしゃりと言い当てられて、リョーマは人知れず顔が暑くなる様な気分だった。けれどなまえは気付く様子もなく続ける。

「私ね、久しぶりに坊ちゃんに会えるって、実は少しだけ不安だったんですよ。でも坊ちゃんは、大丈夫かと手を差し伸べて下さいましたもの」

 それは港を出る為に馬車に乗り込んだ時の事だった。自分の荷物に加えてリョーマの荷物も持つと言って聞かなかったなまえがよろけそうだったので、思わず手を差し伸べたのだ。

「あの時確信したのです、坊ちゃんはあの頃から何も変わらない、とてもお優しい方なのだと。だから、そんな優しいリョーマ坊ちゃんがどうしたら喜んでくださるか、して差し上げられる事を考えると身体が勝手に動くんです。ただの仕事の関係でもありません。坊ちゃんはわたくしにとって、特別で大切なお方ですから」

 なまえがリョーマの顔をまっすぐと覗き込み、眩しそうに眼を細める。
 今、胸の辺りを見えない手で捕まえられた感覚がした。これは一体なんだろう……もしかしたら自覚がなかっただけで、一ヶ月にも及ぶ長い船旅に一人で放り込まれて寂しかったのかも知れない。そして、それを今まで感じずに済んだのはきっと、なまえが鬱陶しい程に世話を焼いてくれたお陰なのかも。
 なんだか急に、なまえに申し訳ない気がしてきた。それでも素直に「ごめん」と口にするのは悔しくて、リョーマは代わりになりそうな言葉を探す。

「……俺は赤ん坊の頃の事なんか、何も覚えてない」
「心得ております」
「でも、ハンバーグステーキも、イチゴのアイスクリームも、嫌いじゃない」
「それはよう御座いました! またいつでも作「けど!……けど、今は焼き魚の方が好き」
「焼き魚、ですか?」
「うん、て言うか和食が好き」

 なまえはポカンと口を開けて立ち尽くして居て、言葉は無くともその顔には意外だと有り有りと書いてある様だった。その表情がなんだか面白くて、リョーマはふ、と頬を緩ませながら「あ、魚は骨が少ないやつね」と付け加える。するとなまえは見る見る内に顔を輝かせた。

「リョーマ坊ちゃん、漸く笑って下さいましたね……!」

 目尻に涙まで浮かべて感激するものだから、リョーマは大袈裟過ぎやしないかと戸惑いを隠せない。
 いつも笑って居るかと思えばくるくる表情が変わって、なまえの方が年上の筈なのに、随分と子供っぽい。何時の間にか、こんな少し煩いくらいのなまえと暮らすのも悪く無いと思い始めて居る自分が居る事に、リョーマはふと気が付いた。
 けれど、それはそれ、これはこれだ。

「とにかく、今の俺をちゃんと覚えてよ。それまではやっぱり昔の話禁止ね」
「えっ!?……駄目、でしょうか?」
「ダーメ」

 だって、なまえから聞く昔の話はなんだか喉の奥がくすぐったくなるんだ。なんて言葉は口には出さない。
 なまえは暫くもごもごと口の中で言葉を引き止めていたけれど、仕方なく「分かりました」と返事をしたのだった。







押して頂けると励みになります。無記名一言感想大歓迎です!