目が眩む程煌びやかなシャンデリアの明かりと、それを反射する大皿やシャンパングラス。そして他愛無い話をして居る様に見えて掴み処の無い瞳をした上流階級の人間から隠れるようにホールの一角に佇みながら、リョーマはパーティの終わりを今か今かと待ち続けて居た。もう夜が明けるのでは無いかと言う程長い間欠伸を堪えているが、時計の無いホールではどれ程の時間が経ったのかも分から無い。せめて食事が美味いのが救いか、とリョーマはフォークを咥えながらぼんやりと考える。
 そんな退屈な時間を過ごして居る彼とは裏腹に、兄のリョーガは随分とこの場を楽しんで居る様だった。何せ着飾った女に囲まれさぞご満悦そうにしている。

「あ、あの……っ!」

 ふと、リョーマに声を掛ける人物がひとり。皿から顔を上げて、リョーマは面くらわずにはいられなかった。現れた少女が、なまえに買い与えたドレスと同じ物を纏って居たのだから。

「えっと……?」

 少女は戸惑いを浮かべて首を傾げる。長く見過ぎて仕舞ったと、リョーマは慌てて目を逸らした。

「何か用?」
「いえ、あの、浮かない顔をしていらっしゃるなっと思って!」
「別に。こう謂う場所が苦手ってだけ」
「……分かります。私も人が沢山居る場所は得意じゃなくて」

 特に興味も無かったので、リョーマは無造作に相槌を打ち、その儘二人の間に会話は無くなった。しかし少女はその場を離れない。やがてホールに流れる音楽が変わり、周りの人間は歓談を止めてペアを組みだした。隣の少女も落ち着きなくリョーマを盗み見ては床に視線を落として居る。リョーマは内心で項垂れた。これが何の合図かわからない程鈍感では無い、けど。

 ダンス? 俺が? 本当に?

 人知れず頭を抱えるが、隣の少女はリョーマを逃がしてくれそうもない。何より此処で何かと言い訳をして会場を後にして仕舞ったら、なまえと練習してきた時間が無駄になる。残念そうにするなまえの顔が脳裏に浮かんだ。……仕方無い。
 リョーマはこっそり溜息を吐くと、少女に手を差し出した。

「……俺と踊ってくれますか」
「はい……っ!」

 リョーマの気持ちも露知らず、少女は頰を上気させて自身の手を乗せて応える。リョーマは重い気持ちでホールの中央に向かった。

「あの、」

 その途中、少女がおずおずとリョーマに耳打ちする。

「なに?」
「……もう少し、腕を下げて頂けますか?」

 云われてハタと気が付いた。いつもは自分よりも背の高いなまえを相手にしているから、自然とエスコートする腕を上の方に設定して居たのだ。

「あ、ごめん」
「いえ! 私の方こそ、ごめんなさい」

 軽く謝り腕の位置を下げると、少女はいっそ申し訳なさそうに首を振った。
 ホールの中央では既に数組の男女が手を取り合って居た。大人に混ざって向かい合うリョーマ達に暖かな視線が向けられる。その何とも云えない居心地の悪さを感じながら、リョーマは教わった通りに片手で少女の手を取った侭、もう片方の手を彼女の腰に添える。

「ひゃっ!?」

 しかし、触れた場所は思って居た場所ではなくて。少女の悲鳴に、今度こそ慌てて手を下の方に移動させる。またやってしまった。
 この少女と居るとどうも調子が狂う。ドレスが同じだからか、油断するとついなまえだと思って仕舞うのだ。声をかけられた時だって本当に驚いた。こんな所に居る筈の無いなまえが、こんな場所で着る筈の無い物を纏って現れたのだと思ったから。けれどよく見れば少女となまえは似ても似つかないし、ドレスだって少し大人向けのデザインだから、リョーマと歳の変わらなさそうな彼女にはいささか背伸びしたように見える。
 気を取り直し、音楽に合わせてステップを踏み出す。今度は上手くいった。一度リズムにさえ乗ってしまえば、後は単調な繰り返しだから簡単だった。

 演奏がひと段落すると、リョーマは待ってましたとばかりに少女から手を離した。なまえと練習していた時はここまで長く感じる事も無かったのだけれど、本番の曲はこんなにも長いものだったのか。
 相手の少女に言い訳もせず、リョーマは外の空気を吸う為にその場を離れる。新鮮な風を浴びていると、煌びやかな会場に戻る気持ちは薄れていくばかりだった。
 疲れた。ダンスまで済ませたのだ。ここまでやればもう十分だろう。後は全て兄に任せて、自分はさっさと家に帰って仕舞おうか。
 決意してからは早かった。待機しているボーイに人力車を呼ぶように頼むと、いくらもしない内に到着したと告げられる。正面玄関に向かうまでにはどうしても会場を横切らないといけないから、せめてリョーガにだけは見つかるまいと早足で移動した。すると、先ほどの少女が再び声を掛けてくるではないか。

「どこかに行ってしまわれるのですか?」
「あーっと……呼ばれた。急用」

 ここで家に帰ると告げてしまうと不味いのは流石のリョーマでも理解できた。少女は明らかに残念そうな表情を浮かべている。

「あの、せめてお名前を伺っても?」
「リョーマ。越前リョーマ」
「越前、リョーマ様……」
「もう良い?」
「え、あ、申し訳ありませんでしたわ。ごきげんよう……リョーマ様」

 少女の言葉を背中に受けながら、リョーマは会場をあとにする。こうして、リョーガに見つかる前にまんまと会場を離れる事ができたのだった。

*****

 人混みへの気疲れでぼうっとしている内に、屋敷へは思いのほか早く到着した。いつの間にか降り始めていた小雨の中、小走りに前庭を通り抜ける。なまえは眠ってしまっただろうか、なんて思いながら玄関の扉を開けると、薄暗い屋敷の奥の方で客間の扉がうっすらと開いて光が漏れて居た。蓄音機からの音楽も聴こえる。隙間から中を覗いたら、昼間と同じドレスに身を包んだなまえがひとりでステップを踏んで居るではないか。背筋を伸ばし、本当にパートナーがいるかのように手を構えてターンをする姿は何処ぞのお嬢様の様で、もし今日の会場にいたら誰だか分からなかったかも知れない。その事実が妙にリョーマを寂しくさせた。扉に手を掛ける。蝶番が小さく軋んだ。なまえがはっと顔を上げて、リョーマと視線がぶつかり――にへら、と間の抜けるような笑みを浮かべた。

「あらぁ坊っちゃん、おかえりなさぁい!」

 何処か覚束無い足取りでなまえが近付いて来る。そしてリョーマの元まで来たかと思うと、ふらりとよろけた。思わず抱き止める。縮まった距離で嗅いだのは酒の臭いだった。

「なまえって、酒飲むんだ……」
「今日は帰りが遅いかと思ってぇ、少しだけ羽目を外して仕舞いましたの〜。でもぉ、自分で買ったワインだからご安心くださいませ〜」

 舌足らずに喋ったかと思えば、「うふふふふ」と訳もなく笑って居る。見た事の無い彼女の姿にリョーマは戸惑いを隠せなかった。こんな時、如何したら良いのだろうか? 酒を嗜む趣味の無いリョーマには何が一番良いのか分からず、大国に居る両親の姿をなんとか思い出そうとする。父親が酒に酔った時、母親や使用人達は……確か問答無用で部屋に運んで居た筈だ。
 そうと決まれば話は早い。リョーマは千鳥足で未だにダンスのステップを踏もうとするなまえを抱え、使用人部屋に向かった。これでは主人と使用人が逆では無いかと呆れながらも、いつもお節介なくらい世話を焼いてくれるなまえの面倒を見るのがなんだか嫌では無かった。

 使用人部屋への距離は長く無かったが、暗い廊下に出たからか運んで居る内になまえは静かになって居た。彼女をベッドに下ろす。眠って仕舞ったのか、反応は無い。乱れた髪が、なまえの顔を覆っていた。これでは息苦しいだろう思って髪を払ってやる。薄暗い部屋でも分かるくらいなまえの頬が蒸気して居て、思わず触れたくなった。

「つめたい……」

 思わぬなまえの一言に驚き、リョーマは反射的に手を引っ込めようとした。けれどなまえはそんなリョーマの手を捕まえて、再び自身の頬に宛てる。

「冷やっこくて、気持ち良い……」

 すりすりとリョーマの手に頬擦りする姿がまるで気紛れに甘える猫の様で、余計に構いたくなる。部屋の薄暗さと微かに聴こえる雨音が、パーティで疲れたリョーマの精神を回復して呉れて居る様で、急にこの場から動きたく無くなった。

「……ねえ」
「はぁい」
「さっき、なんで踊ってたの?」
「秘密ですよう」
「だめ、教えて」
「しかたがないお坊ちゃんですねぇ」

 うふふ、となまえはまたやけに楽しそうに笑って続けた。

「想像してたんです……今日のパーティはどんなものなのかしら……坊っちゃんがお誘いするお嬢様はどんな方なのかしら〜って……そうしたら……」
「そうしたら?」
「うらやましくなって……お酒が飲みたくなってしまいましたぁ……」

 秘密を隠しきれなかった子供の様に、なまえは目を細めてリョーマを見上げた。彼女は未だにリョーマの手離そうとしない。
 酔っ払いの戯言なんて放って置いてすぐに自室に戻るのが最善だと理性が頭の中で訴えて居るのを感じたが、反して身体は動こうとはせず、掌越しに伝わって来るなまえの体温に呼応してリョーマの心臓も早鐘を打つ様だった。羨ましくなったと云うなまえの言葉に喜んで居る自分が居る。捕まれた方の指が勝手に動き、彼女の頬の弾力を愉しんで居る自分が居る。
 湧き上がる己の感情を、唐突に理解した。早くパーティを抜け出したかった訳でも、家に帰りた訳でも無い。早くなまえに会いたかったんだ。……なまえの事が、好きだから。

 そして羨ましいと云って呉れる彼女も、同じ気持ちだったのなら。
 今夜のなまえが、一番正直な彼女の姿なのだとしたら。

「……今からする事、嫌だったら、抵抗して」

 リョーマはなまえに捕まれて居た手をそっと解き、彼女の顔のすぐ横に手をつく。そして顔を近付け、薄く開くなまえの唇に口付けた。葡萄酒の苦さと甘さが舌に絡み付き、リョーマの方まで酔って仕舞う感覚に見舞われる。数秒経ってからほんの少しだけ顔を離し、なまえの瞳を見つめた。ベッドに投げ出された彼女の手を手繰り寄せて指を絡める。熱に浮かされた様な瞳には拒絶の色などなく、絡めた手が握り返されて仕舞えば、もうリョーマに我慢する理由等無かった。







押して頂けると励みになります。無記名一言感想大歓迎です!