わがたつそまに すみぞめのそで


 なまえの手を引き、葉王は都の中心へ戻る道を辿っていた。会話は無いけれど、互いをこれ以上無いほど意識していると言う事は頑なに合わない目線が物語っている。気まずくないと言えば嘘になるが、それ以上に遠慮がちに握られた左手の感触が愛おしかった。

 川沿いの道をしばらく歩いていると通行人が増え、民家はやがて賑やかな町並みへと変わる。あちらこちらで人を呼ぶ声が聞こえれば、市場に足を踏み入れた合図だった。

「そこの貴族殿! 隣の姫君に絹の贈り物はいかがですか?」
「いいや、おなごの綺麗な髪には髪飾りが必要ですよ!」

 葉王の出で立ちを見るなり、どの店も寄ってたかって彼に声をかける。葉王の狩衣を見れば、かなり上等な布で仕立てられているのはすぐに分かるからだった。

「……あの、」

 店を覗こうとする葉王をなまえは遠慮がちに引き止め、繋いでいた手を離した。首を傾げて続きを促すと、おずおずとなまえは答える。

「よろしいのですか? 貴方のように高貴なお方が、かような所にいたら」

 それも私のような者と。
 耳で聞かない声が葉王にはしっかり届いていた。葉王の身分に釣り合うような女が人前に姿を現すなんて事はあり得ないし、何よりなまえの着る袿が流浪の身である事を一目と表している。誰に見られるとも分からない白昼の、しかも人の多いこのような場所で彼が卑しい女と逢瀬を交わしていたなどと言う噂が立ってしまったら……。そう思うと、なまえは気が気でなかったのだ。

「僕だって、幼い頃は飴をひとつ買うのがやっとだった」

 しかし葉王は昔を懐かしむように微笑んだ。己の才能一つで成り上がった葉王にとってなまえとの身分などないようなものだし、ここへ来る事への抵抗も無い。それに元々市場へなまえを連れて来るつもりだったのでちょうど良かった。

「さあ、行こう」

 再び彼女の手を取り、今度は離されぬ様しっかり指をからめる。そして食い下がられない内に櫛を売る出店へ歩き出した。最初に呼ばれた絹物屋も捨てがたいが、反物は持って帰るのに一苦労するだろうから今回はやめておこう。
 売り場には櫛だけでなく、かんざしや元結などが所狭しと並んでいた。最初は所在無さげに縮こまっていたなまえもきらびやかな髪飾りを見た途端、目を輝かせる。心の声を聞かずとも、忙しく移る目線が心情を語っていた。
 しかしなまえはどの品にも手を伸ばさず、毎回寸での所で手を止めてしまう。自身の所持金を思い出し、葛藤している事はすぐに分かった。

「これが君には似合うのではないかな」

 葉王は彼女の目線が一番長く留まっていた元結を手に取る。上等な糸を編み込んでいるのか、日の光を浴びて輝いていた。

「これを貰おうか」
「ありがとうございます。揃いの櫛もありますが、いかがでしょうか?」

 やはり上等な一品であったのだろう。葉王が値段を聞かずに手に取ったのを見て、店主は手をもみ、猫なで声で対応をする。示されたのは元結と同じ色使いをした、これまた見事な櫛だった。

「じゃあ、それも貰おう」
「葉王様!?」

 慌てるなまえを黙らせ、葉王は懐から充分すぎるほどの金を出して店の者に渡す。代わりに元結と櫛を受け取ると、有無を言わさずなまえに渡した。

「さあ、着けてみせておくれ」
「……ありがとうございます」

 最初は申し訳ない表情を見せるなまえだったが、手に収めた物を数瞬見つめると嬉しさに頬は紅潮した。いそいそと髪を解き、新しい紐で結び直す。葉王が予想していた以上につややかな髪にその元結はよく生えた。

「似合いますか?」
「あぁ、綺麗だよ」

 真っ直ぐ見つめて感想を述べると、なまえはくすぐったそうにはにかんだ。
 それから2人は心行くまで市場を歩き回った。装飾品を見るだけでなく、果物や甘味をつまみ、子供のようにはしゃいでは店を冷やかしていく。

 そして市場も今日の仕事を終える頃、麻倉邸に戻った2人は大慌ての使用人達に迎えられたのだった。この屋敷で働く彼らに取っては主人が従者も着けずいきなり家を飛び出して何時間も戻って来なかったのだから、どんなに肝が冷えただろう。彼らの心中を察すると小言を言われるのも仕方ないけれど、それにしたって煩わしく感じてしまう。
 いつまでも口を閉じない女房の言葉を受け流して、葉王はこっそりとなまえに笑いかけたのだった。

*****

 月明かりだけで文字が読めるような夜だった。冬の寒さは日に日に厳しくなり、その分空は澄み渡って星も読み易い。文机に明かりを灯せば、自然光も相まって昼間と変わらぬ明るさと言っても過言ではなかった。

 なまえを連れ帰ってからすぐ、葉王は日が暮れるまで彼女の部屋で過ごした。幼い頃の思い出や再会してからの日々の事、そしてお互いをどう思っていたかなど、これまでもたくさん話をしてきたはずなのに積もる話が尽きる事はなかった。

 そして屋敷が寝静まる頃部屋に戻り、ひとり巻子本を広げる。海を渡り宋から届いたそれらには、あちらの呪術やまじないについて記されている。
 陰陽道の起源は大陸の秘術であると葉王は考えていた。忠具という優秀な陰陽師を師に仰ぎ、この国で見られる最も高みにまで登り詰めた葉王にとって、自身の力を更に強大にする為に異国の文献に興味を示すのは自然な事だった。
 今回手に入った書物は宋の秘境に住むとある一族の記録らしい。

 それは世界の端にある小さな村で起こった
 この世を統べる大いなる御霊、主に力を授けん
 其の精霊王、十八万二千六百二十一の月が昇る毎に新しい主を求めたり
 此度、原初の王誕生から四百一万七千二百余の月が昇る
 精霊王、此頃再び主を求めん


 記録は何尺にも渡って続いており、精霊王の主を決める為の大会がある事、そしてその合図として見た事も無いほどの光が夜空から降り注ぐ事が書かれている。18万2621の月と言う事は、年にして500だろうか。再び主を求めんと言う一文の意味は、もうすぐ件の大会が開催されると言う事に違いない。

「精霊王……」

 初めて目にする単語は葉王の目を引いた。もしこれが事実であるならば、神に等しき力を手に入れられると言う事だ。そんな力があれば……――世界を、変えられるかもしれない。

 ぞくり

 全身が総毛立った。

 家の者に不審がられぬ様、込み上げる笑いを押し殺すのが困難だった。持って生まれた見鬼の力はこの醜い都を守るだけに使うのかと常々疑問を抱いていたが、まさかこのような形で機会が巡って来るなんて。
 精霊王の力さえ手に入れられれば、葉王が憂いているこの世が、阿呆ばかりの世界が変えられるかもしれない。

 誰も母上に石を投げない世界を作る。
 そこでなら、自分も心安らかに暮らせるはずだ……なまえと共に。







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