​いつの間にか視界の中、unknown。


 肩が妙に押される不快感でリョーマは目を覚ました。眠い頭で確認すると、なんと堀尾に踏んづけられているではないか。事態に混乱しつつその足を払いのける。そして未だ夢うつつから抜けやらぬ意識を抱えながらあたりを見回した。堀尾の他にあと2人クラスメイトの男子が各々の寝相で転がっていて、そういえば今は修学旅行中だと思い出す。

 再び堀尾の足がリョーマの肩に触れた。走る夢でもみているのだろうか、ぐいぐいと踏みつけてくる。中途半端に起こされた苛立ちも相待って今度は乱暴に押し返してやった。力加減ができず一瞬焦ったが、向こうは気付く様子もなく寝返りを打つ。

 何、コイツ……と、思わずため息をこぼした。枕に乗せられた堀尾の足が視界に入って、ふと考える。なんだかんだコイツとは3年間ずっと同じクラスだった。所謂腐れ縁というやつで、今回の旅行もリョーマが特に組みたい人物など特にいなかったが為に誘ってきた彼と同班になったのだ。
 どうせならカチローやカツオと同じ班の方が良かった。あ、やっぱカチローはパス。アイツ副部長になってから口うるさいし。

 そんな事をひとりごちりながら時計を見やる。朝食の集合時間まで1時間もない。本来ならあと30分は寝ていたいところだけれど……仕方ない、起きてしまおう。あれやこれやと考えている内に目が冴えてしまったのだ。

 布団から出て、顔を洗って、制服に着替える。その間に同室のひとりが起き、短く挨拶を交わしてリョーマは部屋を出た。

 朝食は昨日の夕飯と同じ宴会場で行われた。建物自体が貸切となっているので、青学の生徒以外は誰もいない。所狭しと並べられたテーブルと椅子は意外にも3割ほど既に埋まっていて、早起きをする物好きがこんなにもいるのかとリョーマは感心した。
 席は昨夜と同じシステムのようで、クラス毎で長机が分かれており、その中であればどこに座っても良い事になっていた。端から数えて7列目の長机に向かう。

「あ、」

 するとちょうどよく視界に飛び込んできたのは、同室の女子と一緒になって宴会場に入ってくる​みょうじの姿だった。行動範囲が似ているのだろうか、クラスが違うにも関わらず最近はなぜか彼女の事をすぐに見つけてしまう。向こうもこちらを認識したようで、眠そうな目をこすっていたのが嘘だったかのようにパッと顔を上げた。大して崩れてもいない前髪を払っている。

「おはよう、越前くん」
「……おはよ」

 それだけ短く交わして、今度こそ席についた。
 それから朝食が配膳され、久々の和食に舌鼓を打つリョーマの肩を堀尾が叩き、「越前っ、どうして起こしてくれなかったんだよ!」と声を荒げるまで時間はかからなかった。

*****

 修学旅行の2日目では、班毎に分かれて京都の街で体験学習をする。先月あたりにホームルームでいくつかのコースが提示されて確かにひとつ選んだはずなのだが、清水寺を訪れる以外はどんな中身だったかまで思い出せない。

 堀尾にせっつかれてまず最初に向かった先は京ひも編みの体験教室だった。自分の好きな色の糸を四角い箱のようなもの(店主の説明によると角台と言うらしい)で編んでいくというもので、最初は少し面倒だと思えた作業も次第に面白さを見つけて没頭していくのが自分でも分かる。

 30分ほど編んで経ってできたものを店員に渡せば、ストラップになった状態で帰って来るまで時間はかからなかった。
 気がつけば周りは未だに慣れぬ作業に悪戦苦闘しており、リョーマのように終わらせてしまった生徒は一握りのようだった。次の移動までは時間があると引率の教員が告げるので、土産物コーナーをあてもなく見て回る。両親と従姉妹に何か買って行こうと思ってはいるのだけれど、まだ何にするか決めていない。

「先に終わっている生徒は別の店を見ても良いけど、あまり遠くまで行かない事」

と言われ、それならばと店を出る。店に並べられたストラップは今さっき作った物とそこまで変わりがなく面白みがないし、他は女子向けのアクセサリーばかりで飽きてきたところだったのだ。
 外に出て新鮮な空気を吸うと、隣がガラス細工を取り扱う店だと気付いた。中に入る。奥の方で騒がしい声が聞こえるので、ここでも体験学習が行なわれているのだろう。
 ガラス細工店の土産物コーナーはずっと大きかった。店内では所狭しと並べられた商品が照明を受けてきらきらと輝いている。ストラップやアクセサリーはもちろん、置物、果ては食器なんかもあったりして、リョーマでも楽しめるほどバリエーションは豊富だ。棚は全て腰ほどの高さまでしかないので、店内を見渡せば隅々まで一望できる。そしてその景色の中で、見覚えのあるポニーテールが視線上で揺れた。
 ぽつりと悪戯心が湧いて、リョーマは音を立てずに忍び寄る。肩越しに覗いても、相手は随分と真剣に何かを選んでいるようで、後ろの存在に気付く様子もない。

「……何見てんの」
「!?!?」

 とぼけるように声をかけると、大きく息を飲むのが聞こえた。勢いよく振りむいた為にこちらめがけて飛んでくるポニーテールをひらりと避けて、改めて相手の表情を見る。耳につくのではないかと言うくらい肩を上げ、溢れんばかりに瞳を見開いていた。故意であれ事故であれ​みょうじを驚かせた事は今まで何度もあったのに、よくも毎回ここまで新鮮な反応するなと感心してしまう。

「え、ちぜんくん……もう!」

 びっくりさせないでよ、と膨れた頬と上目遣いで怒られれば、無性に楽しくなって「してやったり」と逆に喉の奥から短い笑いが漏れた。呆れているような、恥ずかしがっているような、そんな曖昧な表情で​みょうじは目線を伏せて続ける。

「……越前くんもそんな顔して笑うんだね」
「俺だって笑う時は笑う」

 で、こんなとこで何してんの。と最初の質問を繰り返す。手持ち無沙汰になったので近くのとんぼ玉をつまんだ。先ほど作ったストラップと似たような物がくっついている。

「これから京ひも体験なんだけど、前の班が終わるまで自由時間だって先生が言ってたから」

 越前くんは? と間を開けず尋ねられた。向こうも同じようなストラップを手にとっては値札を見て戻している。

「俺も京ひも終わって、移動まで自由」
「同じやつやったんだね! 次は何をするの?」

 無邪気に重ねられる質問に、リョーマは答える術をもっていなかった。素直に「覚えていない」と打ち明けるのもなんだか釈で、けれど突然の沈黙は​みょうじにとっては十分すぎる返答だったらしい。

「もしかして、覚えてないの?」
「……清水寺は、行く」
「そこはみんな行くよ」

 押さえた口元からクスクスと笑いが零れる。「やった、さっきの仕返しができた」とおどけた調子で言われ、お腹のあたりがむず痒い。してやられるのには慣れていなかった。
 そんなリョーマの様子なんてお構いなしに、​みょうじの意識は再び土産物に注がれる。「あ、これ可愛い」や「これも素敵」なんて呟きながら取っては戻す物たちが全て似たようなストラップだと気付くのに時間はかからなかった。

「それ全部京ひものストラップじゃん。あとで作れるんだから買っても意味なくない?」
「うーん、それはそうなんだけど……」

 眉尻を下げ、困ったような中途半端な笑顔で彼女は口ごもる。無言で続きを促すと、これから編む京ひもでお揃いのブレスレットを作ろうと班のみんなで決めたらしい。

「私ストラップ集めててね、京ひもじゃなくても他のストラップを買えば良いかなって思ってたんだけど、想像してたよりずっと可愛いくって」

 特にガラス細工がついてるやつ。
 そう続けて​みょうじは再びストラップをひとつひとつ見ていく。そして腕1本分空いていた距離を縮めて「でも、ちょっと高いね」とリョーマの耳元で小さく打ち明けた。シャンプーの香りが鼻をかすめる。
 ​みょうじはなおも棚の上の物を吟味し続け、ついにストラップを網羅してしまったらしい。今や彼女の指は箸置きをつまんでいた。

「あ、見てこれ!」

 ずい、と何か差し出されて、焦点を合わせるまでに時間がかかった。1度瞬きすると目の前にあったのは猫の形をした箸置きだ。タヌキのような模様と長毛を再現した身体で寝転がり、何か言いたそうな空色の目をこちらに向けている。

「この猫ちゃん、越前くんみたい」

 猫の向こうで​みょうじが微笑んだ。きらりと、彼女の瞳が光を放ったような気がする。あたりを囲むガラス細工と溶け合ってしまうようで、柄にもなく息を飲んだ。
 ちりん。店のどこかで季節外れの風鈴の音がする。その音で我に返って、そして放心していた自分に戸惑って、塗りつぶすようにリョーマは口を開いた。

「……カルピンだ」
「カルピン?」
「うちの猫」
「猫……あ、そういえば結構前に送ってくれた画像、あの子の事?」
「そう。カルピン。ヒマラヤン」
「可愛いよね」
「知ってる」

 自然と得意な気持ちになり、口の端が上がる。愛猫を褒められて悪い気はしなかったし、調子が戻ってきた自覚もあったのだ。
 不意に店の外から教員の声が聞こえた。他の生徒にも声をかけている。そろそろ移動するようだ。
 リョーマはそうだ、と咄嗟にポケットの中に手を入れた。先ほど自分で編んだストラップを取り出す。そっけないポチ袋に入っているそれを、​みょうじの前に差し出した。

「これあげる」
「……いいの?」
「作ったは良いけど、俺使わないし」

 本当に、とでも聞くように​みょうじは訝しんだ目線をリョーマに送る。小さく頷くと彼女はおずおずとストラップを取り上げ、「綺麗」と呟きながら光に透かした。

「ありがとう。私、この色好き」

 こぼす、と言った表現が似合うような笑顔だった。
 きらり、きらり。細まった瞳が再び光を放つ。

「……Sure.」

 軽く答えて、空になったポケットに手を突っ込んで歩きだす。店を覗き込む堀尾の姿が見えたのだ。他の生徒と混じって引率の教員の元へ集合すると、班ごとに固まって次の場所へ向かった。今度は焼き物をするらしい。

 京焼の店で偶然カツオやカチローと遭遇して、なんの因果か4人揃いの湯呑みを作ってから、リョーマはバスに乗って清水寺を目指していた。途中窓の外を見ていると、思っていた以上に同じような店が並んでいる。特にガラス細工は人気なのか、数件に一件は見かけた。
 それにしてもあんな風に人間の目まで七色に変えてしまうだなんて、京都のガラスは随分と綺麗に反射するみたいだ。
 母さん、ああいうの好きそう。どれか土産として買っていけば良かったかもな。なんて考えるリョーマを乗せて、バスは京都の街を進んでいった。







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